『海蛍』は特別な趣向を持った方に向けられた不定期連載小説です。

お付き合いの「いいね」は必要ありません。

次回、普通のブログupの時に、またお付き合いください。

 

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晴れたる医科大学入学式。
今日からこの大学の学生となる三上真一は姿勢を正し、壇上の来賓挨拶に耳を傾ける振りをし続けていた。
どの方向を向いても良い家庭の子弟なのだろう、身に着けている品物からレベルが違う。
医科大合格に歓喜した親たちが、ここぞとばかりに金に糸目をつけず高価なものを買い与え
着飾っているのだと思うと反吐が出そうになる。
余計なものを見たくもないので、自然と壇上を姿勢よく見つめることとなる。


幼いころに交通事故で両親を亡くした真一はその後、遠縁の男に引き取られることとなったが、新しい家庭を得た日から真一にとっての地獄は始まった。


亡くなった親の生命保険金、事故による命の対価となる金銭全ては、この養父に喰いつくされた。食べるもの・着るものに事欠くだけならまだ幸せだった。
金のなくなった真一を養父は「ごく潰し」と罵り、死なない程度の暴力を加え続けた。
金の無い次の真一の役割は、養父の憂さ晴らしのためのサンドバッグ。
遠のく意識の中で、自分を置いて不本意に亡くなった親までも憎むこともあった。
「なぜ、一緒に死ねなかったのか」と。
そんな血の出るような問いかけに、亡くなった両親は笑顔で真一の心に蘇る。
幸せだった頃の、我が子を思う慈しみの笑顔。
その笑顔があまりに辛く、今では亡くなった両親のことも思い出そうともしなくなった。


中学に入る頃、同じように家庭環境の劣悪な同級生から、人の道から外れるようなことに
誘われることが多々あったが、真一は決して、それに靡くことはなかった。
「自分がこんなに辛く苦しい思いをしているのは、あの人の皮をかぶった獣養父のせい。
なのに、自ら進んで悪に手を染めるなど、なぜ、進んで悪の輪廻に身を投じなければならないのか?」
堕ちるのは簡単ではあるが、その瞬間から自分は被害者ではなくなり、何かしらの加害者と
なってしまう。自分はこんな地べたを這いつくばいながら苦汁を舐めるために生まれてきた
訳では断じてない。
心の隅に追いやった笑顔の両親の顔を堂々と思い出したい一心で、真一は勉強を始めた。
「馬鹿か、てめぇは。お前の親の金などもうとっくに底をついてる。
義務教育を終えたらお前はすぐに働きに出て、この家に金を入れるんだよ」
養父は真一の教科書を破りながら酒臭い息で嗤った。
養父に隠れアルバイトをして、さらに奨学金を貰いながら辛うじて高校へ進学できた。
「生意気に進学校へ通いやがって」
競馬で大負けし深酒をして帰宅した養父は一升瓶を手にそう叫ぶと、真一めがけその瓶を
振り下ろした。咄嗟に頭を護り身を屈めたが、養父はそれも気に入らず背、手足と息を切らせながら何度も真一の身体に瓶を振り下ろした。
「ちょっと、アンタ。本当に死んじまうよ!
それに進学校に通っているって好都合じゃないか。
この子のために、これだけ金が掛かりましたって世間は思ってくれるしさ」
煙草の煙と共に、真一ではなく己を守るためにこの言葉を吐き出したのは、養父と15歳以上も歳の離れた養母だった。
「おめぇ、頭いいなぁ。確かにそうだぜ。まぁ、頑張るこったな、真一」
養父は一升瓶を思い切り壁に叩きつけた。
大きな破裂音と共に、アルコール臭が部屋に充満する。
畳を伝い流れ出たアルコールが倒れる真一のこめかみを濡らした。
「辛気臭くせえな。外に飲み直しにいくぞ!」
家が軋むほどの勢いで閉められた扉。
部屋はやっと静寂に満ちた。



人間はいともたやすく腐り堕ちるものだ。
これ以上、連中に餌を与える必要などない。
かと言って、ここから……連中から逃げるのか?
自分は永遠に逃げ隠れを続けるしかないのか?
ならば敢えて逃げない道を選択しよう。
社会では『子供を数値で計るな』と声高に叫んでいるが、金も親も何もない自分にとって、
勉強で得た数値で価値を計られることは、何よりも平等なのだ。
それは自らの努力により導き出した数値なのだから。
自分は社会に……いや、自身の弱き心に絶対に負けるものか!
夜間の居酒屋、道路工事の仕事を年齢を偽り掛け持ちした。
地獄から抜け出るため働くことに、何の苦も感じなかった。
ただ、自由を得るために最低限の金が欲しかった。
劣悪な環境下で真一はついに医科大学の合格を手にした。
合格の知らせを受け、真一は逃げるように養父の元を去った。足跡の一切を残すことなく。



入試では一位二位を争う成績を勝ち取り、真一はこの入学式会場にいた。
真一に医師になるべく明確な理念など正直皆無であった。
社会的地位、信用を考えると真一には医師になることが自分にとって正解であるとしか
思いつかなかった。
全ては自分の思うままに動いている。
なのに今更、周囲のお嬢さん、お坊ちゃん達を見ていると虫唾が走る。
「フン、6年ここで我慢すればいいのさ。
国試合格してしばらくどこかで修行すれば、後は傅かれる側になれる」
志高く医師を目指す者、親の後を継ぐべく医師を目指す者らの希望あふれる眼光の中、
真一の眼だけは他の誰とも違う眼光を放っていた。
檀下の多くの職員の中、その異彩を放つ眼光に気付き興味を持った初老の男がいたことを、
真一は知る由もなかった。




入学式後、奨学金の手続きを終え真一は早速、アルバイトを探すことにした。
大学構内のアルバイト斡旋コーナーへ足を踏み入れたのだが……
医大生ともなれば今までとは違い、家庭教師など幾分身体には楽なバイトがあるかと
期待をしてはいたが、実入りのいい仕事はまだ未成年と言うことで親の承諾書やら
親がらみの書類が必要となり、真一はそれを知り唇を噛みしめ俯いた。
今まで通り居酒屋や道路工事のバイトを続けるのもやむなしと、その場を去ろうとした時
だった。
「君……新入生ですよね」
その声に真一は振り向いた。
古びたスーツ姿の初老の小柄な男だった。真一を見上げ男は微笑んだ。
「えぇ、そうですが」
「仕事は見つかりましたか?」
男の言葉に真一はイラつきを覚える。
「……いえ、自分の希望するものはここにはありませんでした。
大学を頼らず他で探すつもりです」
答えながらも真一の足は既に出口の方へ向く。
「良ければ私の部屋へ来ませんか?」
そう言われ背後から肩に触れられた。
他人に気安く触れられるなど、養父を思い出し総毛立つ。
何より断りなく自分に触れる者を許す気などない。
真一は敵意むき出しの眼で振り返り、その手を払おうとする。
「あ……」
振り上げた真一の右手が宙に留まる。
払い退けようとした男の手に、四指が無かったのだ。

2017,2,6

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何とか美内さんより早く終えそうです。(苦笑)

時間軸が変わり、話の視点が一時、薫から三上真一に代わるのでタイトルに

『The last chapter』と入れてみました。

この出だしも実は昼過ぎに思いついたのよ。節分で売れ残った特売の「でん六豆」食べながら。美内さんも「でん六豆」食べたら仕事がはかどるかもと思う。

本当はもっと真一が酷い折檻を受けている場面を描きたかったけれど、そこは優祈さんやちべた店長が描いてくれているので、今回は端折りました。

最近、『黒子のバスケ』ばかり観ているから、薫=黒子、真一=緑間みたいな図式に知らないうちになってる気がする。今夜は3期から鑑賞だわ。

亭主も大好きで、なぜか50過ぎの夫婦が深夜、無言で黒子を見ている姿っては笑えるかも知れない。

「アンタさぁ、青峰にだったら抱かれてもいいって思わない?」

「ねぇよっ!!」

って会話がいつも飛び交う。(実話)