今朝の天気予報。
いつもはペットボトルの麦茶と使い捨てカイロ1個の用意を、弁当作りの手を止めて、麦茶は熱々のものをポットに入れてカイロは2個にした。
私はまだ、転んで怪我が治らずにいるんで、自宅籠城中。

テレビではチワワ奥と密かに楽しみにしている赤いシリーズの再放送、「赤い衝撃」が始まっている。中条静夫がよくもあそこまで大映ドラマを演じたなと、今なら思う。本気で思う。
赤いシリーズ、特にこのドラマにはちょっとした思い入れがあったりする。

このドラマ、ON AIR後は何度も再放送された。

同じ年の同性のいとこがいた。同じ市内に住んでいたが、学校は別だった。
明るいけれど、どこかそれが空回りしている子だった。今なら間違いなく「発達障害児」として何らかのサポート対象になる子だ。
百恵ちゃんが大好きで、百恵ちゃんの出る番組は必ず見ていた。
無論、赤いシリーズを見逃すはずもなく、いとこは自分の生活にそのドラマを持ち込むようになっていた。

数十分もじっとしていられないいとこは、学業でまともな成績も貰えず、私が市内の某高校に進路を決めた話をしたら慌てだした。(中3の秋の終わり)
「私も高校に行きたいっ!」
と、騒ぎだしたが、焦ったのは学校側だった。
「え、お前、高校に行く気な訳!?」と。
慌てて駆け込みで隣町の定員割れしている高校に願書を出し入試を受けたが、定員割れ状態でも合格はしなかった。中学を卒業したら、今までいた僅かな友達はみんな進学し、新し環境下で友達を作り勉強したりしたが、いとこに行く場所もなく取り残される形となった。
友達のいないいとこはますます芸能人の百恵ちゃんにハマって行った。

仕事を見つけて働き始めるが数日で辞めてしまう。裁縫や様々な習い事も始めるが、それもひと月も持たず辞めてしまう。いとこの居場所は会えることのない百恵ちゃんの幻影の隣だけだった。

「赤い衝撃」の再放送が始まりしばらくして、いとこはクラシックギターを買い、習い始めた。
これも実は劇中で、車椅子生活になった百恵ちゃんが習い始めたもので、いとこは自分も百恵ちゃんみたいになるんだと意気込んでいたが、これも半月でFコードが押さえられないと言う理由で辞めてしまった。

その後、いくつ目かの仕事を始めまた辞めたが、そこで知り合った年上の男性と知り合いすぐに妊娠がわかり、いとこは入籍をした。まだ十代で私が高校生の時であり、同じ年齢の子が妊娠し結婚するという事実に初めて遭遇したこともあり、驚いた記憶は今も鮮明にある。

いとこが結婚すると、会うことができなくなった。確かに妊娠・出産・主婦業と大変な訳で、私なんかを相手に喋る暇もないのだろうと、私も連絡を控えた。
それから数年後、成人式直前、いとこが倒れて入院したと連絡が来た。脳内出血で倒れ、意識がなく延命処置で生かされている状態であり、そう遠くない時期に確実に亡くなるであろうと聞かされた。
この頃、毒母がいとこ一家に喧嘩を売ってしまい、その煽りから私はいとこの面会もさせてもらえなかった。そして数週間後、別のいとこから「亡くなったよ」と聞かされた。
お腹には第二子がいたと知ったのは、かなり時間が経ってからのことだった。

結婚した男性は非常に短気で、いとこの両親(おじ・おば)の目の前であっても、いとこに平気で手を上げていたそうだ。小さな体で出産し、実家でしばらく子育てしたいと申し出ても旦那も姑もいいとは言わず、自宅でいとこに全てをやらせていた。おじ・おばは日に日に痩せ細り、元気のなくなる娘を目の当たりにして、離婚させようと考えたが第二子の妊娠がわかり、出産を終えてから孫二人と娘を引き取る方向で動き始めていた。
そんなある日、いとこ家族が外出時にバスに乗っていたが、何かが気にさわった旦那が車内で激怒し、腹の大きないとこを殴った。身体の小さないとこはバスの後部から運転席近くまで転がった。その翌日朝、いとこは脳内出血で意識を失い救急搬送されたが、頭の中の出血はもう、どうすることもできなくなっていた。いとこは目覚めることなく死んだ。

バスでの一件をたまたま居合わせた中学時代の同級生の親から聞かされたおじ・おばは、自分の娘の死因が旦那の暴力に原因があると考えたが、既に火葬もされ医師も面倒を嫌いおじ・おばの疑問に納得できる答えは最後までしなかった。おじ・おばは訴えを起こすことまで考えていたが、もしもそれが本当であれば(死因が旦那の暴力)残された孫の父親が母親を殺したとなってしまう事実に直面。以降、会わせてもらえない孫の将来を案じて、娘は運のなかった病死だったと納得した。その子も今は30歳を超えているだろうが、私には消息を知る術もない。

テレビの中の百恵ちゃんがドラマで様々な役を演じると、いとこはその都度感化され、フランス語会話の本を買ったり(赤い疑惑)保母さんになりたい(赤い運命)とおじ・おばを困らせていたことも今は何となくむず痒い思い出になっている。

閉鎖的空間が好きで、家族の数なりの部屋数の家に住んでいたが、押し入れに部屋を持ち、上段に小さなテーブルを机にして部屋として、下段には布団を敷いて寝床にしていた。
毒母はそれを見て散々バカにしていたが、今思えばあの家庭は笑顔が絶えなかった。
おじもおばも他人に迷惑を掛けない範囲で、娘が喜び落ち着くであろうことを黙認していたし、あのおじとおばの姿をみていたから今、私は発達障害の娘と向かい合えていられるのかもと思うことも多々ある。

ただ、誤算だったのは初めて知り合った男性を、いとこは無条件に「友和」と信じ込んでしまったことなのかも知れない。百恵ちゃんが何度も失恋するようなドラマに主演していたら(浅見光彦みたいな)いとこも「出会い」即、恋愛にはならなかったのかも……

もう少しでドラマでは百恵ちゃんがギターを習うシーンが始まる。
 
Allegro Vivace(アレグロ・ヴィヴァーチェ)
この曲を聴くといとこを思い出す。
私は未だに「赤い衝撃」だけは、正視できずにいる。