昨日は入院していた病院への通院日。
10月24日から朝晩の血圧に体重などを細かに記載したノートを持参して見てもらった。
かなり驚かれた。体重は減ってるし、血圧も薬を使わなくても標準値にまで下がっていたから。
ただ、問題は雪が積もった頃、思うように運動ができなくなるし、雪道で転べば目も当てられないと不安を口にしたら、医師の診断書送付が条件の市でやっている個人に合わせた運動何とかってプログラムがあるそうで、そこに申し込みをしてくれることになった。バスやら地下鉄や市電の乗り継ぎになるけれど、あてもなく雪道を歩くより、医師や運動などのプロが個人の具合に合わせてプログラムを作って管理してくれるってのが有り難くて(毒母から逃れられるのが一番だわ・笑)。大抵は医師から患者へ「こんなところがあるけれど、いかがですか?」とすすめても何だかんだ言って断るとか続かない人が多いらしいけれど、私は自分から「お願い、お願い」ってなったから、医師も「本当にこのまま減量や運動を継続したいんですね」って言われた。


私はすでに緑内障を発症していて視野もだんだん狭まっているけれど、これに糖尿病が重くなると一気に視力が持って行かれそうで、その点だけでも恐怖を感じている。消しゴムはんこも切り絵も小説を書いたり読んだりも全てできなくなる。もちろん娘のことは書くまでもなく……

私が無知だったんだけれど、これを最近知って驚いた。
http://www.naika.or.jp/jsim_wp/wp-content/uploads/2016/05/info20160510_7.pdf


糖尿病って決して、みんながみんな、自堕落な生活をしているから発症する訳ではない。ヨシエも実は重い糖尿病だが、ヨシエは自堕落な生活など断じてしてはいなかった。酒も飲まないし食事も健康を考え食べていたし。心臓病まで発病してヨシエはメニエル病とも戦いながら日に一万歩をノルマに頑張っている。あんなヨシエの姿を見ていなかったら今の自分はなかったと思う。糖尿病がわかって毒母は「お前がバカだから」「ざまあみろ」とまで言われたが、ヨシエからは「一緒に頑張ろうね。私の方が少し先輩だから、わかることは答えられるからね」とメールを貰って泣いた。毒母は今も私の前でお菓子をガンガン食べ、肉でも魚でも私が食べられないことを知りながら、薄ら笑いを浮かべながら差し出す。「自分で計算して食べるものを決めているから」と言うと、「クソが」と言われる。


私はヨシエの存在があったから、娘が障害持ちだったからここまでやっているけれど正直言うとストレスマックスで食べて発散したい気持ちは今もある。糖尿病と告知されて、それでも食べることを止められない人を私はどうしても責めることができない。人に言えないストレスを抱えて、その人に食べることまで止めてしまったら、その人は一体、どうなるんだろうって思うんだ。もしも、私が毒母の暴言ややりたい放題に我慢できず過食に走ったら、誰がどんな善後策を提示してくれるんだろうか。障害のある娘に親の目を盗んで「お前なんか出ていけ」って言い放った毒母の相談を児相にしたら「娘さんは幸せですね。毎日、食べることができるんですから」って返事だぜ。どこに救いがあるんだろう。私には過食一直線の道筋しか見えなかった。


でもね、自分の「食べたい気持ち」を上回るぐらい「あなたに生きていて欲しい」って強い気持ちを願い持っている人もいるって忘れたくはないって自分に戒めている。「自分なんか」ってのは逃げでしかないから。


you tubeは懐かしいBee Gees - Stayin Alive。月に何度かは必ず意識して聴くようにしている曲。心臓マッサージする時、この曲のテンポが心臓マッサージにピッタシだったりするんで、何かあった時、すぐにこの曲が思い出されるようにしている。でも、有事の時に限ってこんな事は頭からすっぽ抜けて「ハチャトリアンの剣の舞」とか「氷川きよしの箱根八里の半次郎」なんて思い出してしまうんだろうな。