入院を前にあれこれ期日の迫ったことを片付けている。

快晴の空の下、あさイチで洗濯をして昨日から続いているデスクワーク。予定の半分は済んだ。毒母が話しかけてくるので(喋っていては作業にならないので、作業中は私は話は聞かないし、喋りもしない)とりあえずお茶を淹れてやりお約束の「呪いのビデオ」を見せる。いやぁ~、作業が捗る、捗る。(笑)

ビデオが終わって毒母は庭の手入れに出た。その頃には私も今日の分の作業が終わり、座って足のリハビリをしながら、録りだめていたテレビ番組を漁った。

「おっ……」

『赤い激突』の24話から最終話の26話があった。光テレビなんだけど、どうもいつもタイミングが悪くて赤いシリーズが大好きだけど、気付けば最終話の直前にいつも気付いてこんな見かたしかできていない。

 

『赤い激突』はTBSで放送していた天下の大映ドラマ作品。とにかく大げさな身振り手振りと喋り方は、見ている方が赤面してしまう。助かるのはこの番組、前回見逃しても劇中で前回のあらすじをセリフとして言ってくれる。

今日も24話から見ても、赤木春恵が前回までのあらすじをすべてオーバーアクションで宇津井健と掛け合いで言ってくれたので、安心して見ることができた。

『赤い激突』は宇津井健を父として、娘のバレリーナ三姉妹の母が思いもよらぬ怪我で植物人間となり、誰かが安楽死をさせたという大映作品にしてはハードな内容。

イライラする程のいやな奴で前田吟、宇津井健を励まし頼りになる身内で石立鉄男が盛り上げる。

 

これをON AIRで見ていた頃は、とにかく真剣だったし文句もなかったが、平成の御代になって改めて見ると「ん?」「え!?」「おいおい!!」と思わず声が出て、何度も画面を停止させてしまった。あまりにありすぎるから最終回だけに絞るけど……

 

安楽死を実行した岸恵子扮するパリで活躍中のプリマドンナ。情状酌量が認められて執行猶予4年と実刑を免れたのだが、判決後、数日して

「私、パリでバレエで頑張るの」

と、宇津井健の末娘を連れてパリへ行ってしまうんだ。

おいおい、執行猶予期間中は国内でも自由に旅行なんてできないんだぞ。

それを「アテクシ、バレエをするのでパリへ」なんて、行けるはずない!ムキー

そもそもフランスだって殺人犯して執行猶予期間が始まったばかりの人間を易々と入国などさせるはずもない。

 

長女は今、娘の方が注目されている坂口良子。

彼女が三姉妹の中で一番、バレエが上手なんだが、白鳥の湖のオデットを演じる直前に足を挫いてしまい「私、オデットなんて踊れないっ!」と騒ぐ。

まぁ、ここまでは違和感なく見ていたが、この後が「え!?」だった。

オデット役を高校生の三女に譲って(これもなんだかなぁなんだけど)、自分は黒鳥のオディールを演じることで主役から身を引くという。

 

黒鳥のグラン・パ・ド・ドゥってのは、オディールがソロで32回転するという驚異的な踊りがある。32回転が始まると、オディール役は32回転目完了まで片足で回り続ける。私はこのシーンが大好きで色々なオディールの32回転を楽しんでいるけれど(you tubeだけどね)、とても足を捻挫したバレリーナが主役を譲ってランクを落として受ける役なんかじゃないんだ。つーか、実は一般的には白鳥の湖ではオデットとオディールは二役、同じ人が演じるんだよね。

 

蛇足だけど、日本ではオデットが主役、オディールがその下って格付けされたのは、大昔、これまたTBSで放送されていたバレエドラマ「赤い靴」が原因だと私は断言する。主役の小田切みほにテクニックと心の面で若干劣ったと判断された梅田智子(役名忘れた)が、「え~っ、私がオディール!?」って激怒して、みほに散々、嫌がらせしてた。あのドラマを見たバレエに縁のない者は今も「オデットは優れていて、オディール役は劣っている」と脳内で格付けしてるんだ。罪深いぞ、TBS!!ムキームキー

 

話を戻してと。

秋野暢子演じる次女は妊娠がわかって最後、舞台で赤木春恵の横でその他大勢の役で立っていたけれど、ばあちゃんの赤木さんが気になって本番中に真横を向いてばあちゃんを凝視。娘の小学校の出し物でも、あんなふうに横を向いたら先生に拡声器で怒鳴られる。

 

あと、これは仕方ないんだけどね。宇津井健の白タイツ姿。バレエダンサーじゃないから仕方ないけれど、やっぱ足の筋肉のつき方が違うんだな。スピードスケートやフィギュアスケート、バレエダンサー(すべて男性)って、当然だけどみんな筋肉のつき方が違うんだ。演目が違うから、当然、使う筋肉も違う訳で仕方ないんだけど、宇津井健の綺麗な足を見ると、残念だなって思ってしまう。

ここを読んでいるご贔屓さん方は、「宇津井健+白タイツ=デレデレ」って内容を書くと思っているんだろうけれど、これはみんながあまりに触れすぎている話題なんで私は触れない。(触れたいけど笑い泣き

 

 

大映ドラマを見ていると、昨日まで自分が小説を書くのに様々な下調べをしていたことが不毛に思えてしまった。そうだよな、大映ドラマのように、もっと自由に闊達に自分の作った世界を楽しめばって思ってしまった。

 

本家サイトの作品を見てくれた方もいると思うけれど、初期の作品の中で(BL小説なんだけど)白鳥の湖のオディールとジークフリートに付いて触れた部分があるんだよね。子供向けの「白鳥の湖」の絵本にはほとんど「王子はロットバルト(悪魔)によって用意されたオデットと瓜二つに似せたオディールと舞踏会で会いました。王子はオディールのことをオデットだと思いこみ求婚してしまったのです。」となっているけれど、薫は石田さんにそれは違うと言う。王子は本当は目の前に出てきた積極的で挑発さえしてくる女をはなからオデットだとは思っていなかった。悪魔もそっくりな女を作って王子を騙すより、明らかに違うってわかりながらもオデットを裏切らせ魅力的なオディールを選ばせる方が罪深いし悪魔らしいし。オデットが嘆き悲しんだのは、王子が自分を選ばなかったことではなく、それが自分ではないと知りながらも、オディールの魅力に王子が堕ちてしまったこと……って薫が話す。って、これは私の勝手な解釈なんだけどね。笑い泣き

 

バレエの白鳥の湖では王子が悪魔を倒してハッピーエンドもあれば、悪魔を倒してもオデットへの魔法が解けず、絶望した王子がオデットと共に湖に身を投げて来世で結ばれるって二つの結末がある。

でもね、王子が本当にオデットが好きならば、白鳥のままでもいいじゃないかって思うのは私だけだろうか?湖で白鳥に餌をあげている「白鳥おじさん」っていたけれど、王子も好きならその道を選択ってのはなかったのかなぁ。

「お~ぃ、オデッドやぁ~い。メシの時間だでよぉ~っ!!」

って食パンの耳ばら撒いてとか。

 

 

最後に……

この国ではニセモノはなぜか「ツリ目」が主流である。

ウルトラセブンでも「どっちがセブンかわからない!!」ってウルトラ警備隊の隊員が言うけれど、ニセモノは不自然なほどのキツネ目であり、子供が見ても安易に判断できる仕上がり具合だった。アニメでも特撮でも、ニセはオリジナルより更にいいものを作れるはずなのに、目が吊り上がっている。

 

で、タイトルのように私はいつも考える。

「萩本欽一のニセモノもまたツリ目なのだろうか?」と。

 

You Tubeは黒鳥のフェッテ集