ギプス取れましたっ!!

 

って書くとおめでたく聞こえてしまうけれど、実は今朝、あまりの痒さで(ギプス内)定規を入れてギプスの角度を動かしながらポリポリしていたら、何と!抜けてしまった。ポーンゲッソリチーン

慌てて戻そうとしたけど、角度がついていてこれを無理に入れようとすると、関節が痛くて無理。逆にまた負傷してしまうレベル。仕方ないから、取りあえず身軽になったままでシャワーを浴びて来た。今日は膝の注射があるから明日まで風呂も入れないし、悔いの無いようにゴシゴシ洗った。で、これ、どうしよう……

 

すっぽ抜けなんで無傷のまんま。早くも猫たちが爪を研ごうとしたり、くぐろうとしたり落ち着かない。取りあえず、今日午後の病院でこれを切ってはずして、サポーターに変える予定だったんで、病院に持参して訳を話して許しを乞うつもり。

 

しかし、不便だったわぁ、これをつけると。娘がスキーで靱帯切った時、一カ月これを付けていたけれど、こんなに辛かったんだとわかった。ギプスの人を見たら、今まで以上に優しくしようと思った。私は一年程のごっついサポーター生活に入ります。しかし、こんなことを続けていたらしまいには切る靱帯がなくなるよなぁ。今回は内科的な病気が元で全身の筋力が落ちてが引き金だったし。

そうそう、自分、骨折してたんだっけ!?先週、先生から七割の回復って言われてた。

 

買い物も今は、病院近くにあるセブンイレブンを使用。卵やらサラダ、簡単な惣菜なんかもここで買って凌いでいる。高いけれど卵がとても高品質だとか、パンは意外と美味しいし惣菜は長持ちするしと、コンビニに対する見方が変わったりもしている。怪我も病気も大変だけど、それまでとは違う生活をするってことは、それまでとは違う側面で物事を見るってことな訳で、変化を楽しんでいる。最近は毒母をうまい具合にあしらいながらも、手足のように動いてもらっている。娘が家事に自発的に参加してくれるようになったのは、正直、驚いた。笑い泣き笑い泣き笑い泣き

 

家の中で座りっぱなしも多くなっているけれど(ケツが痛いんだよね、ホントチーン)今は、これに大いに助けられている。

これ、300円くらいの安いマジックハンドなんだけれど、カーテンの開閉やちょっと遠い所の物を取る時なんか、結構役に立つ。私が楽しみにしているブログをされている方はもっと高価なものを使っているけれど、残念ながら私の身近には同様の使いやすい物はなくて、やむなくこれを使用中。先端にギザギザがあるけれど、プラスチックなんで滑って何も掴めないから、自分で輪ゴムグルグルしてカスタマイズした。ゴムをつけると意外と何でも掴める。猫とも戦える。対猫用「さすまた」にもなる。(笑)怪我してから、これで随分とマツコ(メス1歳)と戦った。

 

マジックハンドは娘が生まれる以前に椎間板ヘルニアの手術をした時、入院中、そして退院後と本当に世話になった。病院売店にかなりの数が売られていて不思議に思ったんだけれど、術後、腰を曲げられないことに気付いて、使い道を理解。すぐに亭主に買いに行ってもらった。私の手術した病院のほぼ全員がこれをベッドにひっかけていた。

 

あぁ、入院の支度もしなきゃなぁ。でも、私はパンツが滞在日数分とPC、そしてネットの出来る環境があればいいからな。インターネットアクセス用LANポートとか消灯後は携帯使うからWi-Fiとか亭主に頼もうかな。

 

昔は入院中って喫煙所が大人の社交場の役割をしていたんだよね。若者(成人)も年寄りも男も女も入り乱れて、たばこ吸いながらあれこれ話をする。みんな生息地も立場も何もかも違う。その個々の話を聴くのが楽しくて仕方ないんだ。娯楽もないから喫煙所に行くのが、何よりも楽しみになる。私は入院するほどの病気をしたのも大きな一因で(腎臓ね)決まっていた結婚話が流れてしまったけれど、気が付けば入院患者同士で結婚していたし。(亭主がそうちゅー

今は病院内はすべて禁煙になって、同じフロアーにいても他の患者と接する機会もなくなって寂しい気もする。

 

ここまで書いて思いだしたが、亭主が原因不明の体調不良で入院したが、やせ細り日に日に元気がなくなっていた。当時、娘は生後半年くらい。「面倒な孫なんて連れてくるな!迷惑だ」と言われ、それでも預ける場所がなくて泣きながら頭を下げて毒母に預け動き回っていた。検査はし尽したが、いつまでたっても主治医からは説明がない。それどころか私が説明を求めて約束された日時に病院へ行っても医者は逃げる。食べ物も受けつけなくて「もうだめかもしれない」って呟く亭主を部屋に置いて私はナースステーションに駆け込んだ。

「オラっ!いつまで説明しないんだぁ!?亭主が死んじまうじゃねぇかっ!医者と面談させなさい。何回、約束を反故にすんだぁ!!!」

一時間ほどして気まずそうに医師登場。

「食後の神経痛で大丈夫ですから」だって。

「あぁぁっ?あたしゃ30数年生きていて、食後の神経痛で死ぬほどやせ細った人間ってのを見たことなんてないんだよ」

もう、激高して私は浅香光代状態。しかし、医師は検査の数字を示しながら「数値に問題がないなら、神経痛しかありえないでしょう」と譲らない。切れた私はその場で会計を申し出て、荷物をまとめ点滴を引き抜き宛もなく雨の中、病院を出た。死にそうな亭主を自宅に連れ帰る訳にもいかず、考えた末に娘を産んだ総合病院へ駆け込んだ。どこの産科も私の既往症を訊いたら出産まで関われないと弾かれた私を救ってくれた病院だった。初診の亭主を抱え医師に泣きついた。「何も取り柄のない男だけど、仕事だけは休まず頑張るんです。それが食事もできずに仕事もできなくて、絶対に身体の中で何かが起きているんです!」私は亭主の人格否定をしながらも、医師に助けを求めた。医師はすぐに亭主を入院されせくれた。ここで検査後、亭主は実に成人としては稀な病気をしていることがわかり、このままでは死ぬしかないということも告知された。亭主はここで手術を受け元気になった。

 

動けるようになった喫煙者の亭主は、私が着替えを持って行くと部屋にいないことが多くなってきた。「また、喫煙所かよ。でかい点滴袋をぶら下げながらよく行くわ」とため息を吐きながらエレベーター前でエレベーターが来るのを待った。扉が開くと、そこには点滴をぶら下げた亭主と同じフロアーのおばさんが仲良く会話をしながらこちらに降りようとしている。私に向けたことのない笑顔で。こっちは娘のことから生活のことから何から何まで一人でやっているのに、この男はこんな場所でも「年上の女」かよっ!「プチッ」理性が崩壊した瞬間って、靱帯が切れるような感覚がすることを知った。

その後、どうなったかって?それは、このCMのまんま行動した。特に病院編。このCMを何かの番組で見ると、亭主は今でも複雑そうな顔をしている。