こんな時期に、こんなことを書くと色々と言われそうだけど……

 

私の娘には自閉症の障害がある。

よく世間では「障害ではない。個性だ」と言われることがある。

その言葉を言ってくれる人の殆どは「障害=他人に及ぼす害」との認識であり、「○○ちゃんの場合、障害なんて感じないし個性って捉えないと」と、娘に対しての気遣いの過分に含まれている。

けれども、私が娘の自閉症をあえて「障害」と言い切るのは、この自閉症を持って生まれた娘自身が、この自閉症を抱えたが故に自分の人生上、様々な障害が身に振りかかり、娘自身にとってそれは「個性」なんてお気楽な前向き発言で納得できるようなシロモノなんかじゃないって意味だったりする。

 

正直に書くけれど、もしも腹の中の娘に自閉症の障害が100%間違いなくありますと告知されていたならば、私は躊躇いながらも中絶していたと今も思う。

それは、私という人間が障害を持つ子を授かり育てることが、困難過ぎて夫婦関係だけでなくあらゆることが破綻すると自分なりに結論が出たからだ。

しかし、現実に何も知らずに産んで、翌日から違和感ありありで育てにくさを感じながらも育てていたら16年も経っていた。

 

娘の進度に合わせて手作り問題を書き続けた家庭学習帳は小学校時代だけで300冊は軽く超えた。小学校のわが子の学習に無関心で「勉強なんて教えられないよ」と、笑っていた親たちを羨ましく思ったこともなく、仕上がったノートの嵩は娘だけではなく家族の自信に繋がっていった。それでも娘は生きることがしんどくて、今もメンタルクリニックの世話になっている。

私たち家族は今、自分がいる居場所に対して、何らかの改革を求めたりはしない。余程の違法ではない限り、そこが合わなければ自分がそこを出ればいいのだ。あくまで自発的に出るのであって、他人に強制されるのは本意ではない。権利を主張して、待遇を勝ち取っても、人の心までは得られない。

 

 

数日前に起きた障害者施設での陰惨な事件。

確かに犯行を犯した男の言い分は身勝手過ぎて、私自身、その言い分に共感できる部分など僅かもない。

しかし、忘れてはいけない事実を思いだすきっかけにもなった。

そうだ。そう遠くない過去に我が国でも、障害者という事実に対して、座敷牢に死ぬまで幽閉したとか、生まれた直後に外見上障害があると判断された瞬間に産婆や家族が息のある嬰児を間引いたなんてことが現実に起きていたのだ。

あえて国名は出さないが、今もこのようなことを続けている国が存在していることを私たちは心に留め置く必要もあるとも思う。

戦争や災害だけを後世に伝えるのではない。これだってれっきとした私たちが歩んできた「歴史」なのだ。

 

この犯人、確かに世間に対して、何かしらの問題提起はしたと思う。

しかし、答えはすぐに出たのだ。

『他人の命に自分の勝手な理屈をつけて、殺していいわけなんてねぇだろうが!』と。

 

私が危惧していた「障害」とは「それを持って生まれたが故に、自らに及ぼされる害」のことなのだ。今回の惨劇の被害者の方たちは、そんな「害」を悲しいほどに被ることとなってしまった。

 

普通学級に入学が決まった娘に言い続けた言葉。

『あなたには学ぶ権利がある。

 しかし、如何なる理由があっても、他者が学ぶ権利を侵してはならない』

あのバカ(犯人)に伝わることもないだろうが、この場で叫んでおく。

『お前には生きる権利がある。

 しかし、如何なる理由があっても、他者が生きる権利を侵してはならない』と。

 

 

センテンス・スプリングからちょっとした取材の申し込みが来た。

以前は自分の書いた文言が中吊りに大きく出て、地下鉄の中でそれを不思議な気持ちで見ていた。今回、ある特集を組むそうで、それに対して自分の体験談と思いを送ったら、それを詳しくとなった。確かに私が書いたことって、他の人はまず着眼しない側面だっただろう。

 

昨日、特定疾患(難病)の手続きも終えて、通院も二カ所終わらせて、今日はこれから娘と大雨の中、お出かけ。娘に迷惑にならない程度にポケモン集めもしてくる予定。「ポケモン」であって「バケモノ」ではなかったんだな。