友達ですごい人いる? ブログネタ:友達ですごい人いる?

 

「いる?」というよりも、相手から見て自分自身が「すごい人だね」と言われる。

自分で「何かをした・成し遂げた」のすごいではなく「え~っ。たまちゃん、今度は○○なことがあったんだ!?」的発言はされる。でも、その殆どが「嬉しい・楽しい」ことからは程遠い。私自身、幼少のころからいい暮らしも楽しい思いもしていなかったから、現状を悲観することもあまりない。それは精神が強いのではなくて、嫌なことに慣れてしまっているからだと自己分析している。普通の育ちをしていたらかなり昔に死んでいたとも思うし。自殺・他殺・病死問わず……

 

娘の進路に対する言動に私が切れて、家族がバラバラになっていたが土曜日(丸一週間私は&亭主とは娘と口をきかなかった)私から亭主に話し掛けた。というよりもまさに逃げられない状態に壁際に追い詰め身体でブロックして詰め寄った。

「アンタ使えねぇよな、ホント。

普通、女房・子供が意見食い違ってこんな風になっていて自分だけが取りあえず両方と話が出来る状況なら、間に入って調整できない?アンタと娘が険悪になったら私は娘と『あんな不器用な男でも必死に働いて私たちを食わしてくれているし、まずは感謝だ』って間を取り持ってるのに、何でアンタにはそれが出来ない?会社でも社会でもそれができないとどうにもならんでしょ?」

おイタが過ぎて母犬にきつく噛まれて世の中の厳しさを知らされた仔犬二匹状態の亭主&娘に私は助け船を出した。

そこから娘も含めて話は出来るようにはなった。蟠りも取った、互いに。

「お前が(娘)、やる気起こすも起こさないも勝手。

たださ、私は健康ではないから何かが私に起きた時にはお前、障害ゆえに施設で一生を過ごすか、他人に自分のあらゆることを管理されて生きるしかないんだわ。

それが嫌なら人並み以上の努力して、人並みになればいい。

友達みていて『世の中、どうにかなってるじゃん。だから自分も…』ってのは、あんたには該当しないって意識しておきなさい」

日曜の夕方近く、二人で亭主と毒母に内緒でふたりで回転ずしで寿司を頬張りながら話をした。でも、16歳で情緒障害児にはやはりこんな話題は他人ごとなんだろう。娘は寿司のネタばかりに気を取られていた。しかし、人生ってまさにドラマなんだと思う事態が数日後、降りかかってくるなんてその時は私も思いもしなかった。(その時は私も寿司ネタの方が重要事項だったし)

 

昨日、所用があって朝からチャリで移動を続けていた私。途中でちょいと調子が……午後2時をとうに過ぎていたけれど、朝シャワーも浴びたしいいかと気軽に婦人科へ向かった。初めて行く病院で面倒な手続きをしてやっと診察開始。待合室で「私、忙しいし、やることが山にあるのに何でこの程度の症状でここにいるんだろう??」そんな表情のまま医師の前へ。で、長くなるから端折るけれど、ここで受けたエコー検査で子宮筋腫が複数見つかって「知ってました?」と。「ひとつは知っていたけれど、複数ってのは…」まぁ、筋腫くらいどうってことはないんだけれど、医師は執拗に泌尿器科への受診を勧めてくる。正直、その医師が言う状況ならば、婦人科の医師でも対応できて薬も貰えるのに。「帰り道に泌尿器科があるんで、じゃ帰りにそこに行きます」で、泌尿器科で婦人科での話をしてすぐにエコー検査したら片方の腎臓が真っ黒く影になってた。事前に造影剤検査で過去、意識不明になって以降、どこの医師も私には造影剤を使う検査は行わなくなっていて、この医師も造影剤を使う検査をしたいが、リスクあるし、でも検査せずに放置もまたリスクがあるしと困惑。最近、血圧の下が130を超えるって話題追加した時点で医師も検査を強く勧める。「一昨年、サルコイドーシスで肺に影が見つかった時、ガンの疑いも否定できないって造影剤使って生きてるんで、たぶん今回も死なないと思うんでやっぱ検査、受けます」と返事をした。まずは検査前に造影剤で死ぬか検査しないで病気手遅れで死ぬかって、すごい選択だよなって自分の中で妙に乾いた笑いが起きてきた。

 

今朝、娘と話をした。

「私は大袈裟な話をしていた訳じゃないってわかっただろう?お前が産まれるずっと前から、神様が私の命で博打打ってる状態だった訳。

私が延命を望まないって尊厳死宣言カードを持っているのを知ってるだろう?

もしも、大きなガンやそれに並ぶ病気が見つかった時、私は初期で助かる確率が高いのなら手術も受けるが、それ以外は苦痛を取り除くことは望んでも治療行為は一切拒否するから、お前も自分の人生、自力で乗り越える覚悟決めな」

娘に取っては朝からかつ丼を主食で焼肉を食うくらい、重い話だったし状況だったと思う。

 

今の日本、最低限の知識を持ち、出来得る限りの努力をしていれば、どうにか生きられる有り難い国だと私は思っている。「算数」レベルの計算もできない輩が、みんなが行ってるからと俗にいうFラン大学へ安易に奨学金を借りて進学して、返せなくて「国が・社会が悪い」と騒いでいても、私は同情の欠片も持てない。(あくまで上記の場合な)大学よりもまず、算数出来るようになれよと思う。娘にはドイツの学校のシステムを教えて、小学校の勉強ができない者が大学へ行ける日本が有り難くもアホなのかも伝えてある。文句を言う前にまずは、自分のするべきことをやれだ。

 

娘よ。後に笑って暮らしたかったら、今泣くほどに頑張れ。死んだ母親に手を合わせ祈られても、私にはどうすることもできないからな。だが、この手の話は実はもう何十回も出て騒いだが、私はどうにかすり抜けて生きている。多分、今回もすり抜けて生き残るだろう。(笑)

 

それがドラマチックさのない、すごくもない私が「私の変わった友達」と呼ばれる所以。

 

PS

最近、本家サイトに作品へのコメントが来て、何だか嬉しくてニタニタしてる。

「海蛍」最後は三上先生が出てくるって見えているけど、なかなか進まない。