趣味を聞かれたら何って答えてる? ブログネタ:趣味を聞かれたら何って答えてる?

 

答えるだけなら「切り絵」も「消しゴムはんこ」も小説も何でも言いたい。完成度じゃなくてあくまで自分の思いならいいか。

 

昨日は通院日。脳外や神経内科のある病院の待合室で自分の順番を待った。昨日はもうひとつ受診科目が増えて、いつもとは違う場所で順番を待つこととなった。そこはリハビリ施設が近くて、車椅子や歩行器などで出入りする人たちが狭い通路を何度も行きかう。視線を向けなくとも視界には動く誰かが入ってくる。こちらの意図を問わずに。

 

気管切開した人やら、指先で電動車いすを動かす人。年配者だけではなく、どう見ても娘よりも幼い子もいた。こんな場所で拘束された生活をする以前は、こんな場所があるなど、ましてや自分がそこの住人になってしまうなど想像もしていなかったと思う。自分も手術の度に思っていたから、その点は共感できた。彼らもリハビリで何かを掴む練習をする以前は、社会の第一線で私などが想像も出来ない場所で頑張っていたのかも知れない。何か大きな資格を取ろうとしたり、挑戦しようと努力をしていたのかも知れない。でも、何かの理由があって寝ずに頑張っていたことはチャラになって、今は紐を結んだり人に支えられながら一歩を踏み出すことが、自分が生きることの大きな目的に否応なしに変更せざるを得なくなった。でも、私は彼らを不幸だとは断じる気はない。なぜなら未来へ続く努力を怠らない彼らよりも、苦難に背ける娘の方がどれだけ不幸なのかを私は知っているから。

 

それまで生きてきて、彼・彼女らは様々なことに努力して自分の歴史を積み重ねてきたのだろう。それが突然、病や事故ですべてが覆される。何と理不尽なことかと思っただろう。結婚式3か月前に病ですべてをチャラにされた自分だから、そこも理解できる。怒りややり切れなさで拳を振りかざそうとしても、その拳さえ点滴に繋がれて作れない。「くそっ、元気だったら、病気や事故にさえ遭わなければ今頃自分は……」呪文のように何度も何度も呟いた。でも、何度も繰り返される理不尽な出来事に翻弄されながらも、今こうして私が生きているのは、毒両親が私のメンタルを破壊しながらも、耐久性をupしてくれたからだと思うようになった。よく「苦労した方が人間いいよ」なんていう人もいるけれど、んなことはねぇよ。極力、「無用な苦労」なんてせずに朗らかに育った方が精神衛生にもいいし、人間的にもいいもん。知り合いが「トマトやピーマンって育てる時に枯れるギリギリまで水をやらずにいじめて育てると甘くなって美味しいんだよ。だから人間だって苦労=水をやらないって思うと、苦労した方がいいでしょう?」って言ったけど、私は人間だ、トマトじゃねぇってんだ。少なくともこんな話を聞かされたら、私は生まれ変わっても絶対にトマトやピーマンにはなりたかねぇと思った。

 

今の年になって「やっと転び方を覚えたかな」と思えるようにはなった。10年、20年前に同じことで転んでいたら再起不能レベルだったことでも、今は受け身を覚えて「怪我程度」で済んでいることを思うと、トマト並みの苦労もまぁ仕方なかったのかなって。

 

娘と出かけた帰りに鉄板あつあつハンバーグの店に初めて入った。偉いおじさんと若い娘さんふたり(二人は使用人側)が、狭い厨房を忙しなく動き回っていた。注文を終えて視線は彼女たちに向く。一見、無駄のない動線だったが、その合間合間にひとりの女性が氷を入れたビニール袋を何度も手の甲に当てている。やがて注文した品が来て、それを配る彼女の手を見ると、かなりの火傷を負っていて大きな水ぶくれがいくつも出来ていた。それでも彼女は笑顔で、ハンバーグが熱いのでくれぐれも火傷には気をつけてくださいと言った。その日は日曜日で、これからは書き入れ時にもなる。彼女が病院へ行くなどどう考えてもありえない。これが自分の娘だったらと思うと胸が痛んだ。

 

親は生きた分だけ「人はどんな時に転ぶのか」を「時に他人が悪意を持ってわざと転ばす時もある」ことも知っている。それをわが子が体験し身に染みることがあまりに切ないから、思わず回避できる手段を教えようとする。しかし、若さ故、生きているだけで毎日、お祭りであるかのように楽しい娘には、親の辛気臭い話などムーディ勝山の「右から左へ聞き流す」どころか「右耳にすら入れようとはしない」のだ。まぁ、娘の人生。私のものじゃないし、余計なことは考えないようにした。

 

ただ、忘れないで欲しいと思う。世の中には何も悪いことなどしてはいないのに、不慮の事故や病で、それまで不眠不休で努力したものが一瞬で倒され跡形もなく消え去ることがあるということを。そして、この世の中は、火傷をしても顔を顰めることも許されず、笑顔で仕事を完遂させる厳しさを体得した人たちの上に成り立っているということを。苦難を避けて生きる者には、野垂れ死にしか道は続いてはいないのだ。

 

やはりトマトは甘いのがいいのかも知れない。