多分しないけどお金と時間があったらしたいこと ブログネタ:多分しないけどお金と時間があったらしたいこと

 

【子供に対する愚痴なので、upしたけど読み飛ばし推奨です。また、楽しい話題でお会いしましょう】

 

『多分しない』ではなく『多分、身体が持たないだろうから』となるか、自分の場合は。

 

勉強したいね。小学校の教材と教えてくれる人がいてくれてと。学校へ行けなかった分、学べなかった分を存分にしたいと思う。

 

今も学校で学ぶ夢を見る。時にいじめられていた頃の状況をそのまんま見て魘されたり、時に充実した学校生活をエンジョイして笑ってる自分がいたりと、夢までもが迷走してはいるが。

 

深夜、オールナイトニッポンの二部の終わりまで聴きながら夜明けを迎え、テストを受けた高校時代だけが、自分に取っては有意義で忘れられない学校生活だと今も思う。あの時、3年間だったが真剣に勉強をしまくって教師に評価され算数も出来なかった自分が生まれて初めて数学で90点超えを出したこと、学校での様々な役を引き受けて泣きながらでもやり通したことが50を過ぎた今も自分という人間を今も支えている大きな力になっていると感じる。あの時、何事も面倒だと尻をまくって学校をやめたり逃げていたら、その後に幾多もやってきた自分の身体を飲み込むほどのビッグウェーブに浚われ流され、とうの昔に自殺していたか、病に負けていただろうとも思う。

 

なりたいものはたくさんあった。星が好きで(両親の殴り合いを見るのがいやで外にいた)「天文に関する学校や仕事に就きたい」やら「法曹関係で」と、自分の中が空っぽだと気づかず夢ばかりが大きくなっていた。空洞でもその夢があったから生きていられたのかも知れない。年齢が上がり世の中の仕組みを知るほどに、学力のないアル中で無学な毒母や女性関係にだらしのない毒父を抱えていることで既に自分が大きなハンディキャップを背負っていたと思い知らされた。高校から頑張っても外見はどうにか繕えても所詮は「軽石」であり、中身などないから見続けた夢は面白いくらいあっけなく消えた。

 

今のようにネットで調べられるような時代なら、何かが変わりえたのかも知れない。でも、常に酔いの回っている毒母に、女を自宅に引きずり込んで昼夜問わずよろしくやってる毒父に何を言っても自分の道が拓けることはなかった。

「何とか大学、行けないかな」

根気強く酒臭い毒母を訪ね説得し続けてくれた担任とは、今も年賀状の交換を続けている。自分よりも成績が悪くて、授業中も好き勝手話して騒いで授業を中断させていた連中は揃って希望校へ推薦で入学していった。私はそれを見送った。

 

娘には同じ様なことを味合わせたくはなかった。でも、「知的・情緒障害」を背負っている事実に私は全てを諦めた。親(保護者)がいなくなった後、施設に入れられるのか、それとも生活保護でも受給しながら細々と一人で暮らしていくのか、それも仕方ないと思っていた。しかし、それを覆したのは就学前の娘の一言だった。

「私もそこの小学校に行きたい。みんなと同じクラスに行きたい」

色々とあった。最後は市長に直談判して、やっと話し合いの場を持てた。そして、娘が適応出来なかったら支援学級へ移るとのことで、娘の通学は始まった。

 

「○○(娘)ちゃんには障害があるから、勉強を助けてあげよう」

どこからともなく出たクラスの子たちの善意だったが、数分後には娘が逆に他の子の勉強を見て教える側になっていたのは笑った。

 

『あなたには学ぶ権利が保障されている。が、如何なる事情があろうとも、あなたが他の子の学ぶ権利を阻害することは絶対に許されはしない』

 

入学前から教えたのはこれだけだったと思う。ハンディがあって「助けてくれる」のは相手の善意があって成り立つものであって、ハンディのある側がその善意の行為をあたかも「当然のように」要求したり受けるのは絶対に違うとも教えた。だから、ここで(普通学級)学ぶことがしんどくなった時は、私たちがここを去るのだとも教えた。6歳の娘にはさぞかし悲壮感満載の学校生活であったかと思う。でも、娘は6年を笑顔で楽しみ駆け抜けた。助けられ、助けながら。

 

でも、娘はすっかり変わってしまった。楽な方へ、楽な方へと自ら身を任せるようになってしまった。学ぶことがうざくなってしまった娘は、自分のその思考を正当化しようと嘘まで平気でつくようになってしまった。まぁ、昨日、進路のことで色々とあった訳だけど、ついに娘には理解できなかったようだ。自分の努力次第で思う未来に近づけるけれど、努力しない者には何の対価も与えられないということを。一晩泣いて、朝も泣いて自分勝手に作り上げたであろう夢を私は葬った。確かに娘とは親であっても別人格だし、施設に入れられようが生活保護で食い繋いでも、それを望んで学びを拒否したのなら仕方ない。私が娘に望んでいたのはただ一点『少額でもいいから納税する側になれ』だった。今まで世間に助けてもらった分、少しでも納税する側として「ありがとう」を返していけと。

 

私が自分の家庭のもっとも嫌悪することは、娘も亭主も「話し合い」という行為を全くしようとしないことなのかも知れない。親子でも夫婦でも所詮は他人な訳で、身近な相手ほど意思の疎通を図るべきだと私は思っているが、上記の二人はそれがない。面倒なことには極力関わらず避けて、シカトしているうちに誰かが(大抵は私)何とかしてくれるからいいやと思っている。

 

誰だって人の嫌がることなんて言いたかねぇよ。お前が嫌な役目は私だって嫌なんだよ。お前が「チョロい」と思っている世の中は、今までどれだけの命を飲み込んできたと思っているのか。親の意向とかけ離れていても、自分なりの努力を重ねるのなら私は何も言う気はなかったし、むしろ応援しようとさえしていた。いいか、他人に堂々と説明できる自分なりの正義も持たないものはクズだ。私はクズは好まない。責任上、これからも育てはするが、お前にはもう興味はない。確かに便利な言葉だな。この『興味がない』ってのは。お前から教わったこの言葉、肝に深く命じたから。