今考えるとバカだったなぁ、と思えるケンカは? ブログネタ:今考えるとバカだったなぁ、と思えるケンカは?

 この時期、恒例の「日光アレルギー」で身体がボロボロになってついに皮膚科へ。ステロイド軟膏と飲み薬を貰って帰宅。自己免疫疾患のオンパレードになってからは、ネックレスやイヤリングなども真っ赤に皮膚が腫れ上がり身につけることができなくなっている。皮膚科の先生もカルテを手に「始まっちゃったねぇ」と、去年の処方箋と同じ薬をくれた。皮膚科といえば思いだすことがある。

 何かトラブルが起きて寝る間もないほどに大変な時期があった。アホみたいな言い訳だけど、それが何だったか今になると思いだせない。初めての病院に行って受付で、既往症を書くときに過去の腎臓や卵巣の手術でさえ忘れてしまうことのある自分。いつの間にか亡くなっていた毒父や残念ながら今も私よりも健在な毒母からは、嫁いでからもあれこれ難問奇問を持ち込まれ、人様にとっては一生の中で大きな出来事も、私はトラブルが常にあふれ出ていて、トラブルをトラブルで押しだす「ところてん」状態。だから睡眠を取る間もないほどの出来事が今も思いだせない。

 そんな中、キッチンに立っていた時、突然、私は背中に針を刺されたような痛みを感じて、思わずそこへ蹲った。そばで一緒に立っていた亭主がいたずらしたのかと睨んだが、亭主は不思議そうな顔をして私を見つめる。その後もグサグサ刺されるような痛みが続き、見ると何やら腫れている。翌日、皮膚科に行くと「帯状疱疹ですね」と。「安静にしてくださいね」と笑顔で医師に言われた。朝イチで行った皮膚科。その後、電話を使って話をして続いていたトラブルは一気に終息した。「やっと安静にできる……」私は布団に倒れ込んだ。帯状疱疹の告知を受けて3時間後くらいだった。トラブルから解放された私は精神的に緩緩になって布団にしがみ付くように数秒で意識を持っていかれた。

 「あんだよぉ……」携帯の呼び出し音で私は目覚めた。娘は小学生で何かあって学校から電話が来るやも知れない。現に保育園時には遊具で怪我をして血だらけで病院に運ばれ縫合手術し入院もしたこともある。携帯に手を伸ばし画面を見るが、全く知らない電話番号に私は眉間に思い切り皺を寄せた。しばし考えたが、娘を思うと取りあえず出た。「……もしもし」「あ、○○(私の名字)さんの携帯ですか?」知らない男の声だった。心なしかその声は震えていた気がする。名字 を呼ぶということは私のことを知っての電話。「そうですが」訝しげに布団の中から枕を掴んだまま私は答えた。

「すいません。あの……実は…私……あなたのお母さんを車で撥ねてしまったんですが……」

「あ゛っ!?」

 その一言が新たなトラブルの始まりだった。安静にしなさいと言われた帯状疱疹は冗談でも大袈裟でもなく3時間で治った。正確にはビッグウェーブ的ストレスが、適度なストレスで出来た帯状疱疹を私の身体から押しだしたのだ。後に私は「帯状疱疹を3時間で治した女」と呼ばれることになった。この事故は自分の人生を語る上で十指に入る出来事となった。

あ、長くなったんで続きます。ケンカはこの後じわじわと。