親に感謝していること【投稿でドットマネーがもらえる!】 ブログネタ:親に感謝していること【投稿でドットマネーがもらえる!】

ある俳優の奥さんが(公表されている範囲だが)、実母が亡くなりショックで強いうつ状態になって自殺したというニュースを知って胸が痛んだ。彼女には夫も子どももいたが、それでも病は自分の置かれている状況を客観視させる心の余裕も奪い結果、彼女は自殺を選択した。

ある友人と「いかに自分の父親が毒でありダメなのか」を会うごとに競うように話していた時期があった。友人の父親もとんでも人種で、金などで女房子供に死ぬまで迷惑をかけ続けていたが、その父親が亡くなった時に、友人は涙しながら葬儀を出して父親を最後までしっかりと見送った。それまでの実父との攻防を思うと友人は自分がどうしていいのかが分からなくなってしまい、私はLINEで「葬儀に行かないで後悔するのと、行って後悔するのなら絶対に葬儀に行って後悔したほうがいい」と背を押した。「葬儀で色々とあってさぁ」と友人は報告してくれたが、何だかその報告が私は嬉しかった。

実は友人の父が亡くなった時点で、私も知らないうちに毒父を亡くしていた。葬儀も終わり骨箱に入った時点で弁護士から連絡を受けたが、様々な理由でいつどこでどのような葬儀が行われたのかを私は娘でありながら今も知る術はない。毒父の死を知って、真っ先にしたのは相続放棄の手続きだった。8桁の残された金を巡って毒父が生きている段階で40年来の愛人vs毒父の兄弟姉妹が犬神家も真っ青な揉め事を起こしていたのをしっていて、関わっていたら大袈裟ではなく家族諸共、命が危ういと判断してのことだった。正直、我が家は金はない。でも、そんな金のために命の危機を抱えて過ごすのも嫌で、亭主もすぐに首を立てに振ってくれた。父親に関しては流す涙を持ち合わせてはいない。だから私は泣くこともなく今を生きている。これがもしも、素晴らしい最高の父親だったらと考えたことがあった。もし、そうだったら私は両親の別居に振り回されることもなく、神奈川でそこそこの生活をしていたのだろうと思う。母親もアルコール中毒になることもなく、優しい人だったと思う。で、双方が病気であろうが、事故であろうが老衰であろうが亡くなれば、メンタルの弱い自分は悲しみの中、後を追っていたと思った。しかし、今は毒父が亡くなっても何の感情もなく、毒母が亡くなったと仮定しても、その先には亭主や娘と安楽な日々が待っていると思うと、その神が与えたもうXデーが待ち遠しかったりしている。ふと思った。これって、もしかしたら私が肉親と死に別れても泣かずに生きていけるための試練だったの?と。だったら、きっと私は恵まれた娘に違いない。

赤ん坊の頃、金もないのに借金で飲んだくれていた毒父。酔っぱらって帰宅して毒母と取っ組み合いのケンカになったそうだ。酔って足元がふらつく毒父は自分が形勢不利と悟るや否や、台所から包丁を持ち出し毒母と向かい合った。しらふの毒母に勝てないと再び悟ると、何と熟睡していた私めがけて包丁で飛びかかったそうだ。毒母は思い切り毒父に体当たりをして私を死守した。しかし、それが面白くなかった毒父は我が家で飼っていた、良く懐いた二羽のカナリアの籠に手を突っ込むと一羽ずつ握り取りだし、布団に覆いかぶさりながら毒母の腕の中にいた私の横で鳥の首を切り落とした。毒母は恐ろしさで動くことが出来なくなっていたと後で聞いた。転居する先では飼えないからと、隣にいた住人から託されたカナリア二羽は酒に酔った毒父が首を刎ねた。部屋は血に塗れ、しばらくは血なまぐさい匂いが取れず、毒父はそれを口実に幾日か帰らず遊び歩いた。後にその話の真意を毒父に確かめたが、事実だった。「まぁ、酔っていたし、腹も立っていたし」と毒父は笑って答えた。それから時を経て毒父は首を刎ねられたカナリアの惨事の時のような吐血をして死んだ。

死んでも泣けずに、何の感慨も無く送りだせることは、きっと私が親に対して感謝すべきことなんだと思える。

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