人に勧めたい本 ブログネタ:人に勧めたい本

以前、当時親しくしていた人に仏教をベースにした哲学書を貸した。そこそこ古かったし、返してもらおうとも思わなかった本だった。仏教の教えをベースにして、人間の業や我儘、思い上がりや勘違いなどをわかりやすく記したもので、自分自身、何度か壁にぶつかった時に読み返しメンタル面で助けられていた。当時、その人も壁にぶつかっていて私は気軽に貸したが、これが後に酷い目にあう一因となってしまった。その人と色々と合わなくて縁を切るに至ったが、ことあるごとにこの本の感想や素晴らしさをメールや手紙で書いていくる。もう、返してくれなくてもいいから、お願いだから私と接触しないでと伝えても馬耳東風状態で本の素晴らしさを何度も伝えて来た。「そんなに素晴らしと思うのなら、感想は私にではなく、それを書いた人へ伝えるべきだ」と返答をするが、私の意見などもうガン無視である。以来、安易に他人に本なんて勧めるもんじゃないと酷く深く後悔した。

反面、実は本のことで今日は娘の主治医に褒められ喜ばれたことがあった。今の娘に対しての対応としては最高であったと、はち切れそうな笑顔で言われた。私も娘もまた笑顔になった。

娘は様々なことが重なり今年度既に欠席は30日を超えた。ちなみに文部科学省での不登校に対する定義のひとつに「年間30日以上の欠席」とある。娘は「不登校」の仲間入りをしていると思われる。中学三年ではこの欠席数は致命的であり、高校進学は無理状態だが中高一貫のおかげで(日頃、真面目なことも幸いした)首の皮一枚つながった状態で高校進学が決まった。しかし、娘の心の問題は同居の毒母の言葉のDVや些細な友人の言葉を「自分を全否定した絶望的な言動」と捉え学校へ行くことが出来なくなったり、更には月経前困難症なども重なり(他にもメンタル面などで色々とあった)少し前に正直、もう中学卒業の学歴でも仕方ないかと腹をくくった時もあった。しかし、これを娘の持つ発達障害や他人、毒母の責任と決めつけて解決できる訳ではないことは、過去にイジメで小中学生で半分程度しか学校へ行けなかった自分には痛いほどに理解していた。問題解決の糸口は「誰が何をした、しなかった」を明確にして終わりではない。それらの原因が出揃ったら次に大人がすることは、それらの原因にどう対処するかにかかっている。私は数冊の本を用意した。それは発達障害を持ち、自ら自覚し認めながらも生きにくいであろうこの世の中を周囲の協力を得たり、自力で生きるために折り合いを付けて頑張って生きているという実体験モノだった。娘でも理解できるようにマンガが多用されているか、文章ばかりであっても、テンポ良くセンテンスを区切って読みやすいものをチョイスして自分は無論、娘や亭主に渡して回し読みを始めた。本を読んでから娘と感想を話し合った。どんな意見でも絶対に潰さずにまずは聴いた。共感できた部分、真似たい部分、共感できなかった部分や反感を持ってしまった部分などとにかく思ったことを言い合った。そんな中で、娘は次第に「人は誰しも対人関係において大いなる不安を感じ持ち、しかし、それを表に出すことなくある意味虚勢すら張って生きている陳腐な生き物である」ことを理解させた。「あなたはいつでも出された課題を期日を守って提出しているけれど、クラスには夏休みの課題ですら未だ未提出な人もいて、その人たちが毎日、どんな気持ちで登校しているかを考えたことがあるか?」と問いかけると、娘は考え込んだ。「私なら今日は先生から何か言われるかもと思うとドキドキして、学校に行きたくなくなる」と言う。そう、そうなんだよ。誰だって形は違ってもみんなが満たされた日々を送っている訳じゃないんだよっていうと、少し娘の表情が和らいだ気がした。そこからだった。「おそ松さん鑑賞会」を実施したのは。(最近のブログのどこかに書ているので参照してくれ)他にもあれこれアプローチした結果、今週になって娘の表情が劇的に変化してきた。「あれ、今までと表情が違うぞ??」小中と私は常に学校を味方につけてもいた。極力、学校の役員や委員会に立候補したり、様々なことを率先してもやった。娘は楽しんだ小学校だったが、学校を楽しむ私の姿を不愉快に思った者もいて母親たちの私へのイジメはかなりあった。役員業務で学校に行った時、他の母親から紙を一枚、笑顔で手渡された。そこには障害児を受け入れる公立の中学校の一覧があって「お宅、いるんでしょう、これ?」と言われた。子供のころに散々、いじめられて親からのDVもあったから、この程度では凹みもしなかったが、それを知った娘が自ら「私はあんな親のいる中学には行きたくはない」と自ら私立受験を言いだした。それが12月。願書取り寄せもギリギリで小学校も相当慌てていた。でも、娘は自分の力でその親が集まるであろう本来の進学先であった中学校と縁を切った。

残念ながら亭主は(推定アスペ)、本を読むことを拒否し続けた。面倒なのと私の理論がうざかったらしい。今も半分は読んだらしいが、残りは放置されている。これについては先日、ついに私がブチ切れて亭主に今まで燻っていた思いを半分くらいだったが離婚覚悟で腹の中を明かした。これはまた後日にでも。

今日、通院途中に娘に「あんたは小さな頃、眠ってくれなくて専門医に診てもらって薬をもらっても効かないし、しまいにはお父さんの方が鬱病になって一カ月休職&入院までしたんだよ」って当時の話をした。責める訳ではない。「私たちを見守ってくれる人がいてくれたから今の私たちがあるんだよ」って話を繋げた。ひとりじゃない。自分たち家族だけじゃない。自分が助けられたことを忘れず、また壁にぶつかれば信頼できる人に手を差し出せば、その手は宙に浮いたままにはならないと娘が気付いてくれればと思う。

娘は一時的な好転かも知れず、今も気は緩められない。少なくとも亭主よりは扱いやすいのは確かではある。(笑)中学最後のテスト、頑張れ!自分の全力を出せ。そっと自分の夢を打ち明けてくれた気持ちをどうか忘れないで欲しい。

また、家族で読める本を探すから。