夢のようだった出来事 ブログネタ:夢のようだった出来事

前にも書いたけど、SPで岡田君が好きになって、運よくファンクラブに所属してないのにスタンドの前の方の席が取れただけでも奇跡なのに、コンサートが始まって目の前の黒い床が割れて、そこから岡田君が湧いてきたこと。もう、あの一瞬で一生着いていこうと決めた。でも……

今回のSMAPの乱。殆どのマスコミがあの事務所から操作された情報を垂れ流すだけ。四人の謝罪会見(って誰にだよ?)もリアルで見たけど、まるで罪人晒しだよな、あれは。詳細なんてあのメンバーの誰かが腹をくくって話さない限りは、永久にわからないのだろう。「SMAPは死んだ」って言ってるコメンテーターもいたが、死んだのは「SMAP」じゃない。あの事務所に振り回されて、あんなものを報道の名において流した「マスコミ」の方だ。「腐女子」なんて馬鹿にする輩もいるけれど、いいか。本当に腐っているってのは、あの事務所の幹部連中を言うんだよ。

SMAPの謝罪会見の日、実は私は毒母に自宅で土下座させられていた。本当に床に額を押し付けて謝罪の言葉を口にしていた。
「本当に申し訳ありませんでした。心得違いをしていました」
毒母は薄ら笑いしながら
「やだよ。許すわけないんだよ」
始まりは些細なことだったが、もう頭がイカレているんで、何でもかんでも結びつけて自分なりの答えを導きだしてくる。私にストーカーしている女と同じ思考回路で「アンタは○○なんだ。理由は……」って独自の講釈が始まる。「いや、そんな事実はないし、私自身、そんなことを言ったこともないし」と言っても聞く耳なんて持ちやしない。勝手に作られた橋田寿賀子も真っ青なドロドロストーリーを信じて、他者に攻撃を仕掛けてくる。この毒母、昨年末に私たちが亭主の身内の通夜葬儀に出て不在中に、外耳炎を拗らせて聞こえの悪くなった娘にあれこれ言うが、相手にされないと思って怒り狂い「出て行け!」って怒鳴った。娘は親が葬儀の裏方まで引き受けてバタバタしているのを見ていて、気を使って言わなかったが、あまりの辛さにLINEでチワワ奥にそれを伝えた。で、後日、チワワ奥から、私へそれが伝わった。毒母に聞いたら平然と娘がいかに非道だったかと言いたい放題。私は娘に目で合図して、黙らせた。そして、その場で二人で大変不本意ながらも頭を下げた。なぜなら、相手は狂人であり、自分の不在中に刺される可能性もないとは言えなくなったからだ。娘には屈辱的だったと思うが、とにかく我慢してもらった。その狂人がまたまた、勝手に物事を解釈して「お前はこう考えているんだ」と決めつけてきた。今回は亭主や娘も絡んでいたので、違うと筋道を立てて説明したが狂人に言語なんて通じやしない。仕事で大変なことを抱えている亭主や、体調が悪くて通院生活になった娘を思って、吐き気がするほど腹を立てながらも土下座したら笑われて「誰がお前の言うことなんてきくか」だ。

「もう迷惑をかけられないから、私たち家族はこの家を出ます」
そう言うと、毒母は更に笑いながら言った。
「いいよ。それじゃ、このマンションを姪の○○にやるからさ」(これが私たちへの最大の脅し文句だと信じている)
と、言うので
「どうぞ。ここは私の所有じゃないし所有者のあなたに全権あるんで、売ろうが住もうが譲渡しようがいいと思いますよ」
どこかでこの毒母を切り捨てる場面が来ると覚悟していたので、私はその言葉を口にした。毒母の表情がにわかに変わる。そりゃそうだろう。ここの電気ガスなど支払いや共益費に積立金、固定資産税も食費もなにもかにも全て私たちが出しているんだから。私たちがここを出るとなれば、この人の年金だけではここに住むのは無理だ。
「そんな我儘言ってたら、本当に姪っ子にあげちゃうよ」
「だから、私のじゃないんだし、好きにしてください」
この後、「アンタさえ心を入れ替えればここに置いてやってもいい」と言いだす毒母。いや、ここに私たちが住むきっかけのひとつは、ストーカー馬鹿の件もあったけど、熟年離婚でマンションは所有していても、生活を維持させるだけの預貯金も年金もない毒母を哀れに思っての同居だったのが、この人の脳内ではいつの間にか「自分が私たちを居候させている」って思いこんでた。私たちがここを出るってことは、一昨年死んだ実父同様に親子の縁を切るってことになると。春頃、本気で家探し考えようかと思う。生活基盤がない?知らねぇよ。ハンディキャップある孫に親のいないすきを狙って「出ていけ」なんてあり得ないわ。夫婦喧嘩でも「出ていけ」ってセリフはアウトだぜ。毒母見ていたら「祖父母=孫はかわいい」なんて構図は絶対じゃないって思う。性根の腐ったヤツっているわ。

自分が不本意ながら80過ぎのばあさんに土下座されられた夜、SMAPのメンバーが89歳の独裁者に屈して謝罪会見なるものを開かれて、詫びを入れなければならなかった状況に、つい数時間前の自分の姿とそれが重なって泣けた。どんな気持ちで頭を下げているのかと思うと、胸が苦しくなった。

家のゴタゴタを背負った娘は今日も体調を崩して早退してきた。ここに来るまでは、狭くても平和だったし、家族で楽しかったと思う。

「あの婆さん(毒母)が、お前ら家族と仲良く同居できるはずなんてないだろう。誰にでも突っかかっていってケンカして、我慢もなにもできない女だ。お前はあの婆さん背負って死ぬまで苦しめばいいんだ」

これが実父が私に残した最後の言葉だった。親になってはいけない人種って絶対にいると私は思う。私が親でいること自体、実は長い長い夢の最中なのかも知れない。