鍋奉行がいると助かる? ブログネタ:鍋奉行がいると助かる?

我が家は亭主が「鍋奉行」と「灰汁(あく)代官」を兼任している。そこへ山賊の様に来襲した毒母が何も考えずに「食品」という名の鍋に即わないであろうモノを次々と投入していく。娘は好きなものを僅かに突いてそそくさと食事を終え、私は「鍋奉行・灰汁(あく)代官連合軍」vs「山賊毒母」の戦いの名残を無言で食す。さすがの奉行も、棺桶に腰かけたような婆さんに対抗するほど好戦的でもなく、我が家の「鍋奉行・灰汁(あく)代官」は有名無実なのかも知れない。

今日、気になるイラストを見つけて、今年初めての消しゴムはんこを彫った。数時間、無言で自分の呼吸音を聞きながらの作業だった。出来上がって嬉しくなって思わずはがきに押して送ってしまったのだが、郵便局から戻って改めて今回彫ったそのはんこを見てショックでしばし言葉を失った。線はガタガタ、シャープさもなかった。遠近感がないのは一過性のことなのか、病の進行故なのかも私にはわからない。手元は曇りガラス越しでの作業のようなもので、時に見えないまま感だけを頼りに一気に消しゴムを切り裂きもした。消しゴムに関われるもの、そう長くないのかも知れないと思うと、気持ちと裏腹にあの人と同じ『フン!』って言葉が口からこぼれ出た。そうか、あの『フン!』は、今わざわざ何でもかんでも引きだして悩むことなんてないだろう的な『フン!』だったのかもって思うと笑ってしまった。あの『フン!』には今後も大いに助けられるであろう、そんな気がした。



そんな中で、暫く鳴りを潜めていたストーカーがまた絡んできている。
不思議なんだよな。本人としては全く未知の人間を演じて私に絡んでいるみたいなんだが(わかれば即、警察って運びになっているので、取りあえず向こうも多少はバレてはいけないって気持ちがあるらしい)、もう、こちらに向けている文面の内容などを読むと「他人に化ける」のと並行して「自分に気付いて欲しい」的オーラを全開にしてくるのが気色悪い。自分に向けられた文面を読んで背筋に冷たいものが走った。こうして今も自分を監視し続けている時間と情熱を他に向ければ、その人もきっと恵まれた人生を送れると思うのに。

何度でも言う。
私は、自分が自分を大切にできない者は好きになれない。何でも他人や何かのせいにしてしまったり、散々、自分を卑下した挙句に「だから私はバカだからわからない」と己の向上心のなさの答えを「己のバカ」と胆略的に結論付けてしまいキーキーと騒ぐ者を受け入れる程の人間としての器は持ってはいない。