11年後、自分は何してると思う?【ワンダーコアが当たる】 ブログネタ:11年後、自分は何してると思う?【ワンダーコアが当たる】

市内の葬儀屋の10万コースで病院から火葬場へ直行ってコースを決めていてまずはそこで骨にしてもらう。骨は札幌市の合同納骨塚への埋葬を決めているので、一片の骨も余すことなくそこへ入れてもらっておしまい。11年後だったら自分にとっては遠い未来でもないし、不健康体なんで想定はしている。れが悲しいとか切ないなんて感覚はない。ヨシエ(亭主の母であり姑・仮名)にも伝えていて同意はもらっている。亭主に関しては、亭主の家の墓にお骨を入れてもらえるように頼んであるので、こちらも安堵した。骨になるってことは、今のこの痛みから解放されているんだろうなぁって思うと、気持ちが死に傾くこともあったりする。でも、亭主や娘がいるんでそうそう簡単に死を選ぶ訳にもいかず、心の奥底に燻る死を「えい!」と遠くへ押しやって今日も生きる。痛いながらも生きていたら色々と楽しかったり嬉しかったりもあるし。

さて、ネットニュースで「北斗晶の闘病ブログに乳がん患者から避難殺到」って、相変わらず私の生息域では話題の片鱗もない大袈裟なタイトルに目を引かれ見た。彼女は今後、自分の術後の傷跡の公開を考えもいるという。理由は発見が早ければ、このようなことになる可能性が少なくなるという乳がんという病気や検診に対しての啓発の意味を込めての考えだというのだが、それに対して乳がんの患者側から「そんなことをして喜ぶ患者は一人もいない」等とブーイングを受けているというのだ。他にも5年生存率が50%と言うのは、半分が生き残れないと言われているようだとか、乳房を取り除くと言うことは、女性にとって極めて心理的負荷が大きく、乳房再建などいかに傷を隠そうかと考える女性が多い中、北斗氏の行動はあまりにデリカシーがないとつるし上げられているそうな。(記事が正しいのであればの話)このネットの意見ってのは、ここの運営のジェニーみたいな思考の者しかいないのか!?


私は背中(腰だな)には椎間板ヘルニアの手術痕があり、腹には卵巣がん摘出と帝王切開の痕がある。右脇腹には腎臓にメスを入れた時の痕もある。他人から認識されにくい場所では膝や左足の関節やら目など手術も受けている。基本、銭湯が好きなので私は傷なんて気にせず風呂に入る。娘が昔、背中の傷を見て私が着ぐるみを着ていて、この傷が実はファスナーでこのファスナーを開けると、中から痩せて綺麗な母さんが出てくると信じていた頃もあった。この傷のひとつひとつが私にとって病気との戦いの証であり、傷は残っても勝った戦いもあれば、引き分けしたり、また新たな戦いを強いられている状況のものもある。傷は私の勲章だと本気で思っている。乳房を無くした方、私の失明と酸素ボンベを持って常時生きるであろうこの身体と、あなたの乳房のない身体、もしも取り換えられるのならば、取り換えてくれないかな?私は乳房両方なくても気にしない。それで生きられるなら、生きて障害のあるわが子の行く末を少しでも長くみられるのなら、乳房に眼球片方や腕一本オプションで付けてもいいとさえ思っている。

自分がそこまで乳房の存在にこだわるってことは、その人はきっと他人に対しても同様に乳房へこだわりを持っているんだろうと思う。私は臓器で他人を値踏みなどしないし、する気もない。「乳房がないから可哀想」なんて安易な同情なんてしたくもない。臓器や手足のあるなしで他人を評価するなんて、理屈を並べるもなくあり得ないだろう。不本意ながら命を失う者もいる現実を思えば、乳房のあるなしで自分の存在理由まで馬鹿一直線に繋いで考える者に、私は不快感しか持てない。ガンなんて何十年か前までは、手の施しようもなく命を持っていかれるしかなかったのに、今はこうして生きることの選択肢が増えた事実をどうして認めて受け入れられないのかと思う。

それに乳がんって男性も罹患するんだぞ。何か、男なら乳房を全摘しても心理的負担はないって物言いじゃないか、北斗氏を責める記事は?

傷や病気の本質を隠すような報道ではなく、それらの傷を誇りに生きていけるような心の強さを患者は持って欲しいし、患者を受け入れる側も生きる厳しさを受け入れそれらの病に魅入られた者と寄り添う懐の広さを持って欲しいと切に願ってしまう。人間はいつ、どんな形で立場が逆転するやも知れないのだから。人が生きる上で「他人事」なんてないはずだから。

「こんなことをして(傷痕の公表)喜ぶ患者なんてひとりもいない」って堂々と記事があるが、お前ら、患者全員に聞いて回ったのかよ!?様々な立場で病と闘う多くの患者がいる現実に、いとも簡単に「ひとりもいない」って書ききってしまう記者投げやりな感性が怖いな。乳がん患者、そんな軟な者ばかりじゃないぞ。少なくとも知人の乳がんで乳房摘出した人は、「喜ばない患者」には属してはいないことをここにはっきりと明示しておく。

「患者さまなんだから、さぁ配慮しなさい」なんてやっていては、理解などしてもらえるはずもない。生きるってことは、きれいごとじゃ済まないんだよ。痛みで思わず家族に八つ当たりしちまったり、げーげー吐いたり、病院代で飛ぶように金が消えて治療受けるのも躊躇したり、本当に苦しい患者は見たくれよりももっと辛く苦しい現実と今日も向かい合っているってこった。