あなたの11年前、なにしてた?【千疋屋詰め合わせが当たる】 ブログネタ:あなたの11年前、なにしてた?【千疋屋詰め合わせが当たる】

娘が保育園と療育施設の両方に通っていて、慌ただしかった頃。とにかく娘の事を何とかしなきゃと必死になって足掻いていた。で、ガタガタと痩せてきて、ある朝、保育園に連れていくことも出来ずにお休みさせて自宅で一緒に遊んでいたら保育園の園長と担任が玄関先にいた。

「お母さん、頑張ったけどもう限界だと思う。取りあえず一度、心も体もお休みさせてあげましょうよ」

玄関先で崩れるように座り込んで泣いた。追い詰められていた自分は気づかなかったが、傍から見て私の状態は極めて危なくマズイものだったらしい。子供連れて心中してしまうんじゃないかってレベルで。先生方は相談して、家を訪ねてくれれた。普通は私の実家預けなんだろうけれど、毒母は「お前が勝手に生んだのに、どうして私を頼るんだ!?」といつも文句垂れ流しだったので、娘の行き先としての選択肢には全く入ることもなかった。後に、この件が毒母に知れることとなったが、開口一番「私が預からなかったって人様に知れたら、私は悪者と思われるじゃない!?」と、娘や孫の心配など精子の大きさ程もない自己保身に満ちたお言葉を怒鳴った声で頂いた。

二週間ほど娘を施設で預かってもらってぼーっと家事だけをこなした。正直、あと幾日かで戻ってきたら結局は何も変わることもないし、すべてが同じなんだよなって思うと気持ちもスカッと晴れることはなかった。でも、心中しなかったってことは、やはり自分は救われていたのだと今になって思う。

娘を抱えて大変ではあったが、出会いには本当に恵まれていたと思える。結婚してから割と身近にいてくれた亭主の独身・既婚の友人たちからは少年ジャンプのモットーと同じ『友情・努力・勝利(私の場合はこれを“かつとし”と呼ぶ)』の大切さを教えられたし、保育園や療育、小学校や中学校に至る今まで困った先生に当たったこともなかった。今まで生きていて平たんではなかった道だけど、人を呪うような不幸だとも思ってはいない。特に亭主と暮らし始めてからは亭主の放つ、「人間、何とかなるでしょうオーラ」に照らされ続け自分も感化された。でも、思う。「何とかなるでしょう」ってのは、そこに行きつく過程までの頑張りがあって成立するものであって、何もしない者が「何とかなる」わけではないのだと。私の場合は自分の頑張りではなく、善意の周囲の人たちにいい具合に流され続けたんだなって笑って言える。流されるうちに、自分にあった荒々しかった角が次第に取れて丸くなって。

11年後、身体が酷いことになって笑えなくなってるかも知れないし、だから今のうちにたくさんの人と出会って笑いたい。見えなくなっていても動かなくなっても、その時のことを思い出して笑ってって人生いいな。


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