夢はカラー?白黒?【投稿でドットマネーがもらえる!】 ブログネタ:夢はカラー?白黒?【投稿でドットマネーがもらえる!】
相手のいる話なので一部、フェイクあります。ご了承を……

昨日、発達障害についての記事を書いて、それからちょっと離れた店へ米を買いに出かけた。ブログにもこれから米を買うと宣言してあり、財布持って自転車に乗って出かけた。寄り道をしながらあと僅かで店という時、すぐそばのJR線の方からけたたましい警笛音と共に耳の奥が痛くなるような急ブレーキ音が鳴り響いた。実はこの近辺にある某駅は自殺の名所的駅であり、年に何人もの死者を出している。もうすぐここに住んで2年なるけれど、この音は人身事故を意味することを私は身をもって知っていて、私は自転車を駅に向けて走った。

「何て悪趣味な!」って思う人は思ってくれていい。私は何故か事故現場に遭遇することが多い。あまりに多いから日赤の救急法の講習も受けて資格も取ったくらいだ。この資格は私が持つ資格の中で一番多く使ったかも知れない。でも、医者じゃないからもちろん、可能な場面で可能なことだけをするに徹している。今回のような場合、私は本当に野次馬になるんだろうけれど、それでも私は走った。

警察と救急と同じくらいに自分は駅に着いた。三両編成の列車はそこが通過駅だったので、止まることはなかったのだが、事故か自殺かはわからないけれど列車は人を撥ねて急停止していた。遮断機手前で止まっていた列車から車掌が降りて轢かれた人のそばへ駆け寄る。いや、正確にはそこに来ていた警察官に向かって線路上を走っていたのか。列車内の乗客は道路側から見ていた私たち野次馬と呼ばれる者たちより冷静で、全く動じてはいない。携帯で連絡を取ったり、もう一時間は動かないのだろうと寝てしまった人もいた。私は亡くなられた方を見に来た訳ではなかったので、それ以上、そこにいる意味もないと物陰で小さく手を合わせ、米を買いに行こうと自転車に跨ったのだが……何やら普通じゃない数人の女性たちが視界に入った。

一人は20歳前後の若い女性。青を通り越して真っ白な顔をして、ガタガタと震えて駅前広場のベンチに座っている。その左右を60~70歳前後の女性たちが彼女を抱えたり「大丈夫、とにかく深呼吸をして。大きくたくさん息を吸って」と声をかけている。彼女たちに目を向け耳を傾ける。若い彼女は、駅のホームで列車を待っていたら突然、隣に立っていた人がホームに飛び降りてまさに「え?」と思うと同時に目の前でその方が轢かれたのを見てしまったのだと言う。恐怖で引き攣った表情のまま、大きく見開かれた瞳からは大粒の涙がボロボロと可哀想なくらいにこぼれ出て来る。そのうち、彼女の呼吸がおかしいと気づいて、私は自転車を駐輪所へ止めると彼女の元へ向かった。

地面に膝を付けて彼女より顔を下にした。「ごめんね。通りがかりのお節介なおばさんなんだ。一つだけ教えて欲しいの。息、苦しくない?」両隣のおばさんたちは私がたちの悪い野次馬で、何があったのかを聞き出そうとしていると思ったらしく、怖い顔をして私を睨んでいたが、「息が苦しくないか?」の問いに不思議そうな顔をした。見ていると、明らかに吐く息よりも吸う息の方が多い。それもおばさんの指示通りに。「手、触ってもいい?」同意を貰って彼女の手に触れる。驚くほどに冷たくなっていて、小刻みに震えている。脈は速かった。私は、そこにいる人たちに「過呼吸症候群」のことを話して、リラックスさせたいが故に「はい、息吸って。深呼吸」というのはいいけれど、このままでは彼女は倒れてしまうと言った。以前はビニール袋を口に当てるとか間に合わせの方法があったが、今はこの方法は推奨されてはいない。口を両手で覆って、でも指の隙間も存分にあけての呼吸がいいと聞いていたのでそれを伝えた。「大丈夫、あなたが悪いんじゃないんだから。飛び降りて轢かれてしまった人のことなんて、すぐに忘れてしまいなさい!」どうも一人のおばさんだけが、火に油を、原油にナパーム弾を投下するようなことを言い続けている。おばさんには悪気もなく善意なのだろうが、おばさんのこの繰り返す言葉の度に彼女は震え涙がこぼれる。私は、そのおばさんを思いきり睨みつけた。で、彼女の視線から外れたところで、自分の口にチャックをするジェスチャーをした。怪訝そうに見ていたおばさんは10回チャックを閉めた私の姿にやっと何を言いたいのかを理解して、以降、その言葉を言わなくなった。

話を端折るけれど、彼女はもう普通じゃなくなっていた。「私、仕事に行くのに列車を待っていたんです。仕事に行かないと、社長に叱られます」でも、立ち上がるとすぐに腰が抜けてその場に座り込んでしまう。「こんな状態で仕事なんて出来るはず、ないでしょう!?」おばさんたちが一気に激怒して捲し立てる。いや、普通じゃないんだって、彼女。まず、ご家族のことを聞いたら、お姉さんがいるという。お姉さんに連絡してここに迎えに来てもらおうかと彼女に連絡をしてもらった。震える声で彼女は姉に簡単に状況を話した。その一番、肝心な部分を話す時、彼女は卒倒しろうになるが、両脇のおばさんが彼女を支えた。電話を終えた頃、近隣の方が震える彼女を見かねて毛布を数枚持参して掛けてあげた。

私は自分の身体がでかいことを感謝した。そのおかげで、震えて冷たくなった彼女の手をこの手ですっぽりと覆って温めることができたのだから。(でも、現実には最後まで温まることはなかった)精神的・神経的な疲弊がこんなにひどく可哀想なものだと私は初めて知った。彼女からお姉さんの乗ってくる車の色と車種を聞いて私は道路へ出た。一帯は救急車に消防車、警察車両やらバス停もあって、一般市民である彼女の姉の車が止まる余地などなかったのだから。少し離れた場所にその車が止まった。私はそこへ行き「○○さんですか?」と声を掛けた。その方は確かに彼女の姉だった。誘導しますと私はお姉さんと駅の方へ歩きながら自分の知る限りを伝えた。警察が寸前での唯一の目撃者である彼女の証言を求めているけれど、あの状態では一人では無理なので、できれば許可をもらって付き添ってあげていて欲しい。そばに居るおばさんたちは聴取をブッチしろと息巻いているが、それをしてしまうと後で余計に面倒になるであろうことも伝えた。他に、今はまだ訳が分からない状態だが、これから精神的にかなりきついことになる可能性が大きいので、彼女の様子如何では、専門医受診も視野に入れた方がいいとも伝えた。

私が車に撥ねられた時、実はその後の方がしんどかった。車を見ると撥ねられた記憶がよみがえって足がすくんで歩けなくなってしまったのだ。精神的ショックは他人の尺度では計れないし、場合によっては医師や薬を使って乗り越えることも考えておいた方がいいとも伝えた。彼女は姉と会えた。で、おばさんが受けずに帰ってしまえと言っていた事情聴取も受けていた。彼女が少しでも落ち着くようにと警察が女性警察官を付けて、お姉さんの車での聴取にしていた。それを見て、もう、彼女はここに戻らないと私たちババ軍団は悟って自主解散を始めた。毛布を持参してくれた方にみんな(私らおばさんたち)が労い、やがて私ともう一人、彼女をずっと抱きしめていたおばさんふたりになった。後方では線路上で鑑識が来て、白いシートをかぶせた中で様々なことをしていたようだ。ある程度、形になっているものは担架でシートに包んで運んでいたが、他はビニール袋に詰められていた。「何十年か生きて、最後は身体の破片をごみ袋に詰められて片手で持たれてってたまらないね」最後に残ったおばさんがぽつりと呟いた。「あの女の子が言ってたけど、列車が来ていた線路に突然、誰かが飛び降りて勢いの止まらない列車に身体を向けて黙って立っていたんだって。驚きだけで声も出ない、身体も動かせない。列車は警笛何度も鳴らして非常ブレーキ使ったけれど、一瞬でその人は視界から消えてやっと止まった列車の方を見たら……ホームにも非常停止ボタンとかあるけれど、あんな状況では訓練でもしてなきゃ体は動かないんだろうね」

周囲では携帯で写真を写している若者が増えてきていた。帰宅後、Twitterなどで何枚かの画像を見て「これはあそこで写していた高校生坊主のひとりだな」とか、幾人もの顔が記憶に蘇った。携帯を向けなかった自分も同列な下種なんだろうけれど。



昨日、札幌は終始、良い天気だった。私は朝6時から何度も洗濯機を回して、ベランダ一杯洗濯物を青空を見上げながら干した。こんな暖かで心地よい夏を思わせる日差しは最後なのかもと夏を意識しながら何度も空を見上げた。青くて高い空は本当に気分が良かった。けれども、同じ空の下、こんなに綺麗な青空ももう視界に入ることなく、この人は線路に飛び降りた。恐ろしいほどの加速を付けた列車に顔と身体を向けて、けたたましい警笛も非常ブレーキ音ももう、耳にも心にも届かなかったかと思うと切なくなる。

借金があっても今のこの国では破産という形で、失敗をしてもなお再チャレンジの道を与えてくれている。何かをしでかしても、まずは「ごめんなさい」から始めれば、ことは再び動き始める。様々な悩みがあるのだろうけれど、この国にいる限り、実は当事者が思うほど大事にならずともかなりの物事は解決に向かえる可能性が高いのだ。悩んでいる人がいたら、どうかまずは勇気を出して、今までとは違う一歩を歩みだして欲しい。この国をボロカスに蔑む者もいるが、手段や相談相手さえ間違えなければこの国はそこまで冷たくもおろかでもない。今までうまくいかなかったのならば、今までと違う方法で違う人と話し合ったり解決の糸口を見出すことを考えたらいいのでは。絶望=死ではない。どうか気づいて欲しい。でも、それを行動に移す時点で、すでにその人はもう普通じゃないのだろう。

周囲にいた人たちやこの件でのTwitterでのつぶやきに多かったのは…亡くなった方への言葉は「こんなことして迷惑だわ」ばかりだった。でも、思った。それを可哀想とか認めてしまったら、自分もと同調してしまうほどに人間って弱いから、むしろ逆の言葉で死の恐怖を追いやっているのかもと。


彼女の夢、しばし色のないものになるように祈りたい。