体調壊してない? ブログネタ:体調壊してない?

目の前にビニール袋に水を入れて転がしてあるような黒い物体が視界に絶えず入っている。我が家の最後の飼い猫「げろぶー♀」。下半身中心に体内に水が溜まってきて、今では顔まで変形してしまった。一日、辛そうに浅い眠りを続けている。苦しくてもう熟睡できないのだろう。


近所にオープンした雑貨屋さんのオーナーさんが、雨の降る深夜の公園でまだ400gほどの彼女を保護したそうだ。でも、アパート住まいで猫を飼えずお店に持ってきて、やって来たお客さんたちに「子猫いりませんか?」と声をかけ続けていた。そこへ偶然、私たち夫婦が出くわした。

彼女は生まれながら怖い顔をしていた。顔の構造的に眉毛を剃ったあんちゃんのようになっていて、顔だけで人間を威嚇できる猫だ。顔はともかくすでに家には、半年前に家族として迎えた「鉄太郎」がいて、その鉄ちゃんと仲良く出来るのかも心配のタネだった。店内を三周はしたと思う。悩む私たちを見て、これは脈があると察したオーナーさんは、私たち三周の後をしっかりついてきて、今日ここで買った代金を割引しますと囁く。正直、可愛かったら貰わなかったと思う。顔が怖かったので、貰い手がないだろうと私たちはその子猫を貰う意思を伝えた。

「でんすけすいか」の箱に入ったまま手渡された子猫。自宅で待っていた鉄ちゃんは、突然現れた子猫に喜び歓迎の「顔ガブ」を繰り返した。安堵した。さて、名前を決める一大イベント。亭主の好きなインドのお茶の「チャイ」を命名した。チャイは問題なく我が家の長女の座に収まった。

その後、我が家には行き場のない猫がワラワラとやって来るようになり、気づけは猫だけで10匹という大所帯となった。(引き取り後、すぐに獣医さんに運んで検査して、避妊手術をするので自宅では増えていない)かかりつけの獣医さんも「団体割引にしてね」と私が言うと「奥さんにはかなわないなぁ」と笑いながらも、かなり割引をしてくれた。捨て猫を保護しているのを知っていた先生の優しさでもあった。

猫が増えるにつれてチャイは次第に、その存在を薄くしていった。他の猫と喧嘩をすることもなかったが、他の猫が自己主張をするごと、チャイは静かになっていった。この頃からだったと思う。チャイが嘔吐と下痢を繰り返すようになったのは。病院に連れて行っても異常はなく先生は「多頭飼いによるストレス」と言った。この時、私たちは「可哀想」の一言であれもこれもと飼ってしまったことを悔いた。悔いても他のどれかを手放すこともできず時は流れた。

チャイがわが家へ来て2年もすると、家庭内で彼女を「チャイ」と呼ぶ者も、またその名を呼んで認識する者もなかった。ストレスで嘔吐しまくるチャイに「あっ、ゲロ吐いた!」「ゲロ、ゲロ」と叫ぶうちに彼女名は「チャイ」から「げろぶー」になっていたし、彼女も「げろぶー」を自分の名として認識していた。(ゲロを吐いて、ぶーたれるようになっていたのでげろぶー)


10匹いた猫たちも、病気や老衰で次第に我が家から消えていった。長男だった鉄ちゃんはある日、調子を崩して病院に連れて行ったら腹水が溜まっていて、満足に呼吸ができる状況ではないとレントゲン写真を前に説明を受けた。週に何度かから二日に一度、やがて毎日と鉄ちゃんを連れて病院へ通った。毎回、針を刺され、怯える鉄ちゃんを治療のためだからと宥め治療を続けたが……
夏、24時間テレビのマラソンを大した気にもせず目で追っていた残暑。この日、昼前だったが病院はかなり混んでいた。先生は私たちの顔を見て「鉄ちゃん、置いて行っていいよ。処置済ませておくから夕方にでも迎えにきてくれれば」と言ってくれ、私たちは鉄ちゃんをバッグごと先生に委ねた。「鉄ちゃんのお迎え前にスーパーでおかず買いたいな」なんて言いながら亭主と準備をしていた時、家の電話が鳴った。
「鉄ちゃん、死にました」
電話の向こうで先生が静かに、確かに言った。
さっきまで確かに生きていたのに、それを死んだなんて納得も理解もできない。私たちは泣くことも出来ぬまま病院へ走った。

いつも呼吸ごとに動いていた鉄ちゃんのキジトラ模様の腹は動いてなかった。体も硬く冷たくなり始めていた。いつものように腹水を抜く処置をしたら心停止したと先生は言った。

鉄ちゃんのためにと、病院に通っていたが、それは病を抱えた高齢の鉄ちゃんにはかなりのストレスになったいたと今なら当然に思える。けれども、あの時は「病気=病院での治療」しか考えが及ばず、私は通院がむしろ鉄ちゃんの死期を早めてしまったのだと気づくと深く深く後悔をした。以降、自分も難病やら大病をするようになって、「尊厳死」を考えるようになった時、一つの選択肢として高齢でもう延命しかない状況の猫には積極的苦痛を与え長引かせる積極的治療は行わないと夫婦で結論を出した。その意志の元、「菊造」や「ぽよ」など高齢で医師から完治の見込みはないか極めて引くいと言われた猫は、以降、通院をやめ自宅介護を続け私の腕の中で看取り続けた。「菊造」に関しては未だに独特な足音を立てて私の元へやってくる。

ほかの猫が亡くなり、まさかのストレスを抱え体調を崩していたはずのげろぶーが20歳を超えてもなお、生き残るなんて誰もが考えてもいなかった。ここに引っ越す直前までげろぶーはてんかんのような発作まで起こすようになって、命の刻限を覚悟したが、同居を始めた毒母が猫好きでげろぶー相手に甘やかし三昧のお姫様扱いをするようになった途端、げろぶーは発作も起こさず元気になっていった。(頭は痴ほう症で睡眠も取らずに夜泣き三昧だったが)げろぶーの生命力に私たちはただただ、驚かされた。よく「うさぎって寂しいと死んじゃうんだよ」なんて聞くが、これはげろぶーを見ている限り、根拠なき戯言ではないと思った。確かに他の猫に埋もれていた頃とは違い、自分だけをみんながみて相手をしてくれる様にげろぶーは20年も経ってやっと来た「我が世の春」を謳歌していた。毒母は少ない年金で刺身用のマグロやカツオ、生鮭や値の張る猫缶を買い与え続け、どんな猫缶でも文句を言わず食べるのがげろぶーの長所だったはずが、わがまま全開になって、気に入らなければ一缶100円を軽く超えるものでも、そっぽ向くようにさえなっていた。げろぶーは猫の寿命をはるかに超えたほどに遅れてきた我が家のアイドルになった。

半月ほど前からだっただろうか。げろぶーの前足・後ろ足が短期間に異様に腫れて驚いた。触ってみるとそれは浮腫みからきているもので、押した部分がへこんでいた。もう、次は奇跡の復活もないと分かっていて私は毒母含めて家族からげろぶーを病院に行かせず、自宅でこのまま看取ると宣言した。毒母もこれまで犬猫を飼っていて、回復の見込みのないまま通院を続け、最後は注射だ、点滴だと弱った体に治療という名の苦痛という名のストレスを与え胸が痛んでいたのであっさり同意、亭主も娘も同意した。

浮腫みが酷くなってきた頃から、自力でトイレに行くことも大変になってきて、寝たまま垂れ流し状態。自分の小便で驚き泣き叫ぶから、昼夜問わず介護をしている。呼吸するだけでしんどいのか、水を飲む時以外、立ち上がることもなくなった。

今朝、亭主は仕事で東京へ行ったが、6日目に帰宅した時、まだ生きているのが難しい状況に最後、何も特別な声をかけられぬまま行った。げろぶーは亭主が扉の向こうへ消えるまで無言でその姿を見続けていた。

あと数日もしたら、げろぶーは私の腕の中で死んでいくのだろう。自分の体調を考えたら、私が猫を含めたペットとの生活はこのげろぶーで最後になると思う。こんな時に限って場違いなあの歌が頭の中を駆け巡ってしまう。
♪さよならするのは つらいけど 
 時間だよ 仕方がない……♪
こんな時にドリフかよっ!(苦笑)考えるとこの歌詞ってこの状況下ではかなりきついな。
ってな訳で目下、心身ともにしんどいです。体調最悪。

でも、しっかり見送ってあげないと。