がんばってる? ブログネタ:がんばってる?


「たまさん、“カサンドラ症候群”って知ってる?」
一か月強ぶりに会ったカウンセラーに、密度の濃すぎた約一か月の出来事を話していたとき私は問われた。
「カサンドラ??いや、わかりません」
初めて聞くであろう耳慣れないその言葉に、私はしばし記憶を手繰ろうとするがやはりまったくわからない。
「これはアスペルガー症候群の配偶者を持つ夫または妻が情緒的な相互関係が築けないがゆえ精神的に追い込まれることをいうんだけどね……」
カウンセラーは神妙に言葉を選び私の表情を探るようにみながら話を続ける。要は配偶者がアスペルガーで、その相手と普通と呼ばれる関係が構築出来ず、アスペの配偶者に対して精神的・肉体的苦痛を生じることを指すらしい。帰宅して自分でその“カサンドラ症候群”とやらを調べてみた。うわぁ…もう私たち夫婦の日常を、私の苦痛を聞き取りしたかの様な、亭主の空気の読めなさを文章化したようなもののオンパレードだった。
「これね、悩んでいるご夫婦、結構いるんですよ」
カウンセラーの言葉がよみがえる。
その夜、亭主の機嫌を見ながら、思い切って話を切り出してみた。不快なら謝るが、まずはこれを読んで欲しいと私はある一文を指さした。
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ワシとシマウマは食べるものも生き残る環境も違うので、つながってもうまくいかない。生活を共にしたいなら、ワシは構造化さ れていない予測不可能なシマウマの環境で生きていかなければならない。しかし、その環境で生きられる時間は限られるため、ワシはときどき山に帰って一人で 過ごし、生命維持に必要な食べ物を食べて元気を取り戻さなければならない。その理由がわからないシマウマは、ワシの関心が自分から逸れると深く傷つく。二 人の間に波風が立つようになり、関係は非常に不安定になる。シマウマは拒否されている、価値がないと見なされていると思い、ワシは間違ったことをしている と責められていると思う。
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以上、wikipedia『カサンドラ症候群』から、アスペ夫をワシに、妻をシマウマに例えた話より

「率直にこれ読んでどう思う?僅かでも共感出来る箇所ってある?」
そう問いかけた私に亭主はこれを読み終えると同時に笑顔で
「うんうん、これ、すごく理解できる。そうなんだよ、そうなんだもん!」
「…そうか、わかった。だったらシマウマの私がアンタをワシとして接したら気楽になれると思うか?」
「うん。そう思ってくれたらいいな」


あと数年で銀婚式。そこまで一緒にいて、確かに楽しかったことも多々あった。だから一緒にこうして暮せた。けれども子供が生まれたあたりで、ワシ(亭主)は次第に自由を居場所を失っていったのだろう。ワシは自閉症の娘中心の生活に疲れ果て(正直、私には今も理解し難かったが)うつ病にもなったことがあったが、常人の父親ではなくアスペのワシがシマウマの増殖に自分のテリトリー(精神的にも物質的にも)を侵され始めてついに神経が参ってしまったのだろう、あの時は。
もう、腹立たしい気持ちも、馬鹿にされているのかと言う虚しさも一気に消えた。そうか、そうなんだ。この人はそんな情緒的なことが理解出来なかったのだ。

「これからは私は、ここに書いてあるワシに接するつもりでいたらいいのか?」
「そうだね。そうされると気分が楽だと思う」
亭主も自分がアスペかもと予知していた面があったのだと思う。ワシ宣言後は重かった肩の荷を降ろし表情も一変。明るくなったと私の眼には見えた。

思えばカサンドラ症候群の中にあること一言一句、身に突き刺さる思いがする。
亭主は基本、数学や理科系は本当によく出来る人だ。だから小学生の娘に中学卒業相当の数学を教え、検定にも合格させることができたのだと思う。けれども国語は全くできない。他人の気持ちを推察したりましてや裏読みなど出来るはずもない。私は単に「国語が苦手分野なのか」と思っていたが、苦手は苦手でも社会で生きるには致命的なレベルでの苦手だったのだ。

10年以上も亭主に持ち続けいていたあの「モヤモヤ感」は何だったのだろう?と思うほどにそれは消えた。亭主をシマウマの群れから外し、ワシとして認め好き勝手にさせたらワシは今、そこそこご機嫌になっている。20年以上夫婦をやってる配偶者にワシはそれなりの労りをすることはなく、むしろ「こんだけ一緒にいるんだから今更、言葉も何もいらないでしょう?配慮?何でオレがそんなこと、しなきゃならない訳??」と悪気なく思っている亭主に、今更「人の道」やら世間一般論的な「夫婦とは、思いやりとは」なんて説いても欲しても、その気持ちは永久に交わることはない。

今までは順調だった関係も、数年前から私の毒母との同居で亭主は壊れ始めた。毒母はアスペ亭主を斜め下に見下ろしながら罵倒し、自分の好き勝手に思った言葉を心の中で咀嚼することなく、延髄反射的に口から出す。言葉は時として人を救い、大切な関係をも育むが、この毒母(以降ムカデ母と記す)は自分以外はみんな気の利かないバカで低能だと信じて疑わない。私たちと同居して、早い話が亭主の稼ぎで食わせてもらっているのに亭主を立てることもなく馬鹿にし細かなことまで干渉してくる。亭主とムカデ母の間に挟まった私は俗にいう「嫁姑に挟まれたご亭主状態」だったが、娘を入れて三人からの攻撃に一番先に心も身体もねを上げたのは私の心と身体だった。

これから3人対私ひとりでのある意味、腹をくくった戦いになるんだろうな。
でも、何度生まれ変わっても(ムカデ母は選ばないが)この亭主と娘を私は選ぶと思う。自分の思いや苦しみを察してくれない人だけど、それでもこの男と暮らして笑った数はきっと自分が実の親から笑わされた数よりは圧倒的に多いはずだから。

もしも配偶者と何だかしっくりいかないと思って悩んでいる人がいたら、是非ともこの“カサンドラ症候群”を調べてみるといいかもしれない。その相手は「冷たい」のではなくて「自分がどうしていいのかがわからない」のかも知れないのだから。

もう、頑張らない。事情が分かったら思い切り手抜きして、適当に私も暮らす。たまにリビングにワシが来たら油揚げでも与えて…ん?ワシは油揚げは食わないか?(笑)