地方の人を地元で案内するならどこに行く? ブログネタ:地方の人を地元で案内するならどこに行く? 参加中

 何年も前の事だが、北海道内で放送されていた某心霊特集番組で見たワンシーンが、何故か私の脳裏にいつまでもこびり付いている。
そこは北海道でもちょっとは名の知れた「心霊スポット」と呼ばれる場所で、深夜に若者が怖いモノ見たさにドライブがてらに行く名所にもなっていた。
鬱蒼とした草木の奥、山中に廃屋があり、その周囲には何故か無数の卒塔婆が建てられている。日中でも日の光が射さず、古びた文字の判別もできない様な卒塔婆。テレビに映し出されるその映像からは、まるで「ここに来るな!」と声にならない何者かに威嚇されているかの様にさえ思えた。
霊能者は言う。
「ここには数え切れないほどの霊がさまよっていますね。とても危険な場所です!」
映し出された廃屋の中は日常品が散らばり、過去に人が住んでいた名残らしきものはあった。
「ヒドく荒れてますねぇ……」
との局アナの問いに霊能者は深くうなずく。
「非常に強い霊気を感じます。本当にこの場所は危険です。決して冷やかしなどで行くべきではありません」
この手の番組としては最大級の賛美の言葉ではなかろうか。
他にもこの周囲には夜になると何処からともなく片ライトの白いセダンが現れ走行、イタズラ心でこの地を訪れた者の車を追いかけてくると言う。まるで、自分たちが眠るこの土地に遊び半分で訪れた者達を追い払うがごとく……
近くで事故死した者の霊がセダンでさまよっているとのウワサもあった。しかし、佇まいが不気味という以外、全てがあやふやなまま霊能者が廃墟の玄関先に線香を焚いて供養をした後、恐怖の余韻を残しつつ番組は終了した。翌日、友人などと話をする際にも、この卒塔婆に囲まれた不気味な廃屋の話題が出て私達は口々に
「何故、あんな寺も墓もない場所に卒塔婆が無数にあるのだろう?」
と囁きあっていた。もちろん、結論など出るはずもなかったが……

さて、翌週のこと。週に一回のこのコーナーのお時間。
相変わらず怖いモノ見たさから、私は当然の様にチャンネルを合わせ番組を見ていたが、番組最後に局アナが気まずそうな表情で謝罪の言葉を発した。
「先週放送したお宅ですが、あの家には持ち主がいて、その様な(霊的現象が起きる)場所ではないとの指摘を受けました。関係者の皆様には大変、ご迷惑をおかけしました事を深くお詫び致します」
番組のエンディングなんて下手すれば見ない者の方が多いであろう。
「先週の放送って言えば、あの卒塔婆の廃屋だよなぁ?何で謝罪するんだ??」
杉下右京のように些細なことが気になる私である。先週は「廃屋」と言っていたのが、今日は謝罪の上に「お宅」になってるしなぁ。う~ん……
翌日、友人にこの話をしたが、やはり友人は番組のエンディングなど見てはいなかった。
「あれはどう見ても幽霊屋敷だって」
友人はあれが『霊の住みかである』との事を否定されるのがイヤな面もちだった。やがてこの話題は消え、この廃屋の存在や放送された事自体を皆が忘れていたが、何故か私の中では消えずに謎のひとつとして脈々と息づいていた。

それから何年もの月日が経った。私は知人から偶然に、その廃屋と片ライトのセダンの話を耳にする事になった。
「知ってるよ。いや、覚えているよ、その廃屋と卒塔婆、そして片目のセダンの話!」
私は思わず身を乗り出した。単に心霊スポットとしてではなく、何故、局アナが謝罪したのかが興味の対象だった。知人が語ってくれた話には驚愕すべき事実が隠されていた。


吉田さん(仮名)と言う独身のオヤジさんがいたが(以下、吉田のオヤジと記す)、この吉田のオヤジは大の人嫌いであったそうだ。ある日、他人と接するのがとことんイヤな吉田のオヤジは、この人里離れた山中の廃屋同様の家を手に入れることとなった。望み通り、平穏を掴んだかの様にオヤジは思った。しかし、春先になると山菜取りの者が来ることが多くなり、それが吉田のオヤジに取っては頭痛の種であり、大いなる不満であった。悩んだ末に吉田のオヤジは家の周囲に、何処からか集めてきた大量の廃棄卒塔婆を建て巡らせた。日の光も射さない草深い中に建つ、廃屋同様の家の周囲には無数の卒塔婆。これでは誰もが気味悪がって近づくこともあるまい。己の思惑にご満悦で思わず微笑みさえ浮かべる吉田のオヤジであった。
しかし、この完璧とも言える作戦が思わぬ展開を見せる事となる。山菜取りに行った者達が「あそこに卒塔婆が無数に建てられ、囲まれた家がある」とウワサして、そのウワサに尾鰭が付いて、いつのまにやら吉田のオヤジの家は「幽霊屋敷」として地元始め道内で心霊スポット的な観光名所となってしまい、吉田のオヤジの思惑とは裏腹に連日、昼夜問わず見物人がやって来るようになってしまったのだ。
ある時は若者の奇声に悩まされ、ある時は線香の香りで目が覚めて、外に出るとそこには供養にと仏前花と共に線香が焚かれていたりと、吉田のオヤジに取ってはこの上もなく迷惑な日々が続いていると言う。片ライトのセダンと言うのは吉田のオヤジの所有の車で、夜な夜な人気がない時間帯に街に出て食料など調達のために使っている車であった。片ライトは壊れているが金が掛かるから、次の車検までは直せないそうだ。吉田のオヤジのセダンだ、確かにこの周囲をうろうろしているはずである。テレビで「幽霊屋敷」と特集されてからは見物人が激増、これを知った吉田のオヤジがついにテレビ局にクレームを入れた結果が翌週の局アナの謝罪となった訳だが、謝罪にほとんど効果はなく(番組のおしまいにチョロリだもの)幽霊屋敷のウワサは今も無限大に広がり、吉田のオヤジの存在とその真相までは世間に伝わることもなく、吉田のオヤジは今も、絶えない見学者でゲッソリしているそうだ。

私は吉田のオヤジが気の毒に思えてならなかった。廃屋同様の家を手に入れ、静かに暮らしたいが故に卒塔婆を建てればと、思いついた時にはさぞかし「これは素晴らしい考えだ!」と思っただろう。
 「世の中、そうそう思うようにいかないものだ」
吉田のオヤジは私にそれを改めて教えてくれた、そんな気がしてならない。吉田のオヤジは今も若者と戦っているのだろうか?今でも寝ていると玄関先で線香を焚かれて、手を合わされて念仏を唱えられているのだろうか?寺じゃあるまいし、線香の香りで目が覚めるのはさぞかしつらいものがあるだろう。
 
長年の疑問はあっけなく解け、何とも形容しがたい思いだけが胸に残った私であった。

所詮、心霊スポットなどそんなものであろう。
地元を案内するなら…と、言うよりも、心霊スポットだけは案内しないと、この件で私は誓った。