さて、ヨシエ宅へ行った話の続きを……

坂を上り終えた小高な場所にヨシエは住んでいる。家に着くまで、いくつかの角を曲がる。最後の角に差しかかった時、ヨシエの豪快な笑い声が聞こえた。
「いるぞ」(って、こちらから行くと言ったのだからいるはずなんだけど)。娘にそう言いながら、私はそっと角から顔を出した。ヨシエは違う方を見ていたが、相手の近隣のご婦人が私と目が合った。私は咄嗟に身を隠す。(必要なかったんだけどね)
「あら、何かいたわよ!?」近隣のご婦人は当家の嫁を「何か」と表現した。その口ぶりから二度目に目が合えば通報されそうな気がしたので、今度は娘に顔を出させる。娘はヨシエに目元がそっくりだ。近隣のご婦人は「あら、お孫さんいらっしゃったのね」と完全に警戒心を解いてくれた。「何か」と表現された私は娘と共に御婦人に丁寧に頭を下げ挨拶をした。

長患いをしているヨシエはまた一回り小さくなっていた。
「たくっ、もっと太ってくれないと困るでしょうが。嫁がブクブク太って姑が痩せていたら、いかにも私がいびってるとか、意地悪してるとか思われるし」(本当にこんな会話だ、いつも)
「だったらアンタが痩せなさい。そうしたら嫁姑でスタイルがいいって言われるでしょう?」
ところがここで娘が口を挿む。
「ウチね、御茶碗使ってないんだよ。お母さんがおかわり面倒だってみんなでどんぶりで食べてるの」
誰だ、『孫はかすがい』なんてぬかした奴は。完全に最終兵器化してるじゃないか。
お父さんは家庭菜園の畑を耕し、笑顔で迎えてくれた。本当に定年になってもマメに動く働き者だ。

家に入っていつもの私のこの家でのポジションに着く。で、いつもお父さんがしばし落ち着かないのがこの20年なのだが、実は今回初めて気付いた。私の座る場所って普段はお父さんの座る場所らしい。私が来るといつも灰皿を持って右往左往するのはそのためだったと今回、初めて気付いた。(苦笑)亭主はコンパクトサイズなんで、テーブルの角に座り、ヨシエは電話やら食器棚に近い場所に座る。娘は冬はストーブに、夏は窓に近い場所に座らせてもらう。
「アンタ、何かあったのかい?」
ヨシエの第一声はこれだった。
「なんで?」一応、とぼける私にヨシエは更なる追い打ちをかける。
「ほら、前に色々合った時もこうやって来たでしょう?だから今回もバカ息子が何か仕出かしたかと思って」
で、終わってくれたらよかったが、ヨシエの言葉はまだ続く。
「だから私、息子に電話したのよ。アンタ、嫁と孫が来るって何したんだって。いくら問い詰めてもしらを切ってたけど」
前夜午前3時過ぎに帰宅して寝たのは4時近く。で、取りあえず午前8時くらいまでは寝て仕事だったらしいが、こんな電話を受けてしまえば亭主は安眠など出来なかったろうと思う。
「ヨシオ(亭主の仮名)、怖くて眠れなかったろうね」
と、娘は冷えた笑顔で言った。

お見通しのヨシエに今更「何もない」と言っても通りはしない。私は取りあえず全てではないが(全て言えばヨシエが札幌へ来ただろう)多少の亭主とのズレや不満を口にした。けれども、こうして指定席で弁当を食いながら景色を堪能しながら小樽へ来られたのは亭主の働きのおかげであり、食って騒いでいるうちに怒りもかなり消えたことをヨシエに伝えた。ただ、娘自身、学校であれこれあったので、その気分転換も大きな目的であり、それを伝えたらヨシエは壊れかけのラジオのように喋り倒す娘の話し相手に延々となってくれた。で、その延長で何と私のブログの話まで飛び出してしまったのだ。
「私ね、自分のパソコンにお母さんのブログのブックマーク取って毎晩、チェックしてるんだけどね……」
突然のカミングアウトに私は口に入れたばかりの「お~いお茶」を吹き出した。
「あらっ、それは素敵ね。で、どんなことが書いてあるのかな?」
一見、日本昔ばなしに出て来る優しいばあ様の様な問いかけだが、ヨシエの目は笑ってはいない。おいおい、これじゃ私が説教タイムじゃねーか、おいっ!
娘は私のブログの話を始めた。が、娘曰く
「よその人は姑さんのことを悪く書いてるけど、お母さんはばあちゃんと仲が良くて楽しいって書いているんだよ。私的にはお母さんよりもばあちゃんのファンの方が多いと思う」
娘が咄嗟に嘘を付けない自閉症児の特性をヨシエは心得ている。それを聞いてヨシエは笑った。
「私のことを書くってことは、もちろんお母さんが大食いする嫁だってことも書いてあるんだよね?」
娘は大きく頷きヨシエは更に満足顔になった。
「お母さんが初めてここに来た時、ばあちゃんの家族はみんな足が小さくて玄関に小さな靴しかなかったのに、静かな田舎の漁港にいきなりデカい黒船みたいな26.5センチのパンプスが置かれて驚いてたことも書いてあった」
ヨシエから小遣い5000円を貰った娘は更に饒舌に語る。もう、麻酔銃を打ち込みたい気分だ。(双方に)
「でもね、あれは(私のパンプス)黒船なんかじゃなかったんだよ」
ヨシエは娘を諭す。
「あれは昔の和式トイレの蓋だよ、蓋!あれだけで玄関いっぱいになったんだから」
ヨシエは和式トイレの蓋を知らない娘に丁寧に説明を始めた。
男にはひとたび外に出れば七人の敵がいる!と言うが、私は後方から味方に後頭部を撃ち抜かれている状態だ。

散々、笑い倒した後、ヨシエは神妙な表情で言った。
「でもね、よその人が私とアンタの会話はおかしいっていうのよねぇ」
「何で?」
「ほら、市場とかに買い物にも行くでしょう、一緒に。その時、大阪の漫才師みたいに話していて、よく嫁も怒らないしあなたも何を言われても平気な顔してるんだって」
正直、私は実母とは相性が最悪である。何でもかんでもネガティブ思考になり、たにんまでもを巻き込んで嫌な気持ちにしてしまう実母より、多くの、そしてどれもが重篤な病を抱えながらもほがらかでいるヨシエが私は心底好きだし、一緒にいてもストレスはない。(ヨシエがどう思っているかはわからんが)

「ウチ、今夜、焼肉するのよね」
買い物に行き、スーパーでヨシエはそう言いながら肉を物色している。私がラム肉を入れてくれと言うとヨシエは
「私は食べない」
と言う。
「いや、私と娘は食べるんだ」
「えっ、ウチで食べてくつもりだったの!?」
「普通、嫁と孫が来たら飯くらい食わせて帰すんじゃないのか!?って、食わせる気もないのに買い物に付き合わせたのかよっ」
「あら、厚かましい。ただし、孫は別」
肉屋の前でこんな会話が繰り広げられていた。(いつものことだが)
その夜、私たちは焼肉でご飯を食べる。はずだった。
支度を始め、さぁ肉を焼くとなった時
「お母さん、頭がすごく痛い。あとお腹も痛い……」
娘がコトンと、その場に倒れる様に寝込んでしまった。

更につづく