人の家に泊まるの好き? ブログネタ:人の家に泊まるの好き? 参加中

私は嫌い 派!


やはり自宅は落ち着く。おならをしようがゲップをしようがの中では無問題。

しかし、人様のお宅へ行けば汚したりしないか、迷惑を掛けないかと常に気を使い落ち着くことは無い。特に私は寝る時、下半身はパンツ一丁でケツを出して寝ているので、人様の家ではそれが許されるはずもなく熟睡も出来ない。(あっ、ウチは家族がみんなバラバラで寝てます)自分の布団に寝る幸せは何ものにも代えがたい。それがどんな高級なホテルと比べることとなってもだ


で、昨日の夜の出来事。

選挙活動真っ只中、私は某候補に注目している。大人の事情でそれを今、ここでは明かせないが、自分の生活圏内で満更知らない訳でもなく(向こうは全くこちらを知らないが)何故か気になっていた。
晩御飯の支度の最中、近くを選挙カーが通った。私はそれがその某候補だと思い、キッチンの窓を全開にした。暗くなった街の中、煌々と明かりを灯す選挙カー。明るいキッチンの窓を開け放った私と車中一同の目が合ってしまった。マイクを手にするウグイス嬢の息を呑む音が拡声器を通して聴こえた。
そう、選挙カーの鉄則で、応援者がいれば必ず
「○○からのわざわざの応援・声援まことにありがとうございます!」

と、アナタ……そう、そこのアナタの応援、確かに受け取りましたと意思表示をしなければならないのだ。これは、その近隣に対しても、自分をそこまでして応援してくれる有権者がいるんですよとの宣伝でもあるのだ。
私が窓を開けたはいいが、車中の者たちはそれが自分たちのためなのか。はたまた単に偶然、窓を開けたのかの判断が付かず、言葉に詰まっていた。同じ(元)ウグイス嬢だから、その気持ちは痛い程わかるぞ。私はやむなくその候補の乗る選挙カーに手を振り始めた。何故か娘が近くに置いてあったV6のコンサートで使った綺麗な色の出る点滅ライトを手に。
「あ……」
スピーカーから何とも言えない声が漏れた。実はこの候補、かなり以前に問題を起こして新聞沙汰にもなって、禊は済んだと言えこの選挙戦はかなり苦戦していた。当然のように有権者の風当たりも相当のものだった。それが、雪が舞い落ちる寒さの中、窓を全開にしてジャニーズのコンサートのライトを振ってもらえたのだ。気分は岡田くんやイノッチになってもおかしくはない。
「あ、ありがとうござますっ!窓を開けて、綺麗なライトを振っての応援、本当にありがとうございますっ!」
ウグイス嬢の声に候補者の声も被る。
「頑張ります、この声援を忘れることなくがんばりますっ!!」
候補者たちは絶叫しながら去って行った。はずだった。

この候補、余程嬉しかったのだろう。それからかなりの時間、我が家の周りをぐるぐるぐるぐると回り続け拡声器で絶叫を続けたのだ。もう、翼団体の街宣車に匹敵している。
「お母さん、NEWSのコンサートで買ったライトを使えば良かったね」
と、娘は派手なV6のライトを選択し振った私が悪いといわんばかりに言った。
「V6もNEWS
ライトなら、同じようなモンだろうが!」
思わず私も叫んでしまった。娘はどこまでも空気が読めずにいた。

みなさん、投票には行きましょうね。
誰に入れても同じってのは、投票した人間が言える言葉であり、棄権したものにはその言葉を吐く権利はないって自覚をして欲しい。
広報誌を熟読して、そして考え一票を。その後、その人に裏切られて初めてあなたは怒り怒る権利を手にするのです。
最後に、私の好きな言葉のひとつを……

*********************
やさしさを失わないでくれ。
弱いものをいたわり、
互いに助け合い、
どこの国の人たちとも友だちになろうとする気持ちを失わないでくれ。
たとえ、その気持ちが何百回裏切られようと。
それがわたしの最後の願いだ
*********************
ウルトラマンAの最終回の地球を去ることとなったAの言葉。
この言葉をあれこれ分析して、真意はこうだああだと言う者もいるが、そんな小難しい思考、この手の番組には必要は無用だと思っている。
たちだって日頃、言語なしに暮らしはなりたたないけれど、そこまで……自分や他人の言葉の裏の裏の裏まで考えたり考えられたりして言語を使う人種などいないだろう。精神が破たんしてしまうぞ。
はなから約束を守る気など毛頭ない輩がいるのも悲しいけれど事実。でも、それって他人にばかり言えるのか?これを読んでいる人の中にも僅かでも打算的思考っを持ったことがないって言いきれる人がいるのか?
○○だから、○○されたから私はもう、二度と○○をしないってのはあまりに胆略的しぎやしないのか?子育てしてたり、配偶者、後輩や同僚、友人に言ったことはないのか?「頑張れ、諦めるな」って。自分の諦めにはもっともらしい理由を付けて、選挙になるとなぜか一端の評論家になって「誰に入れても同じだから行かない」って、堂々の敗北宣言ってあまりに矛盾してるし、悲し過ぎやしないか、それって。
白票投じてもそこに至るまで考え行動することに意義があるはず。百年前、一般市民である自分はこの投票を許されなかったことを思い起こしながら、一票の重みを考えてみては如何だろうか?
投票に行かない無関心層が関心を持つことが実は、国を司る者たちにとっては恐怖以外ないのだ。(みんなが選挙に興味を持って投票に来だしたら、どの政党も票の行方が読めないと思うな)

人の家に泊まるの好き?
  • 好き
  • 嫌い

気になる投票結果は!?