夫婦別姓にしたい? ブログネタ:夫婦別姓にしたい? 参加中

私はしたくない 派!

日頃、占いを深く信じている訳ではないが、亭主の苗字になってからは自分でも驚くほどに運気が向上していると思う。時々、私が亭主の運気を養分として吸い取っているのではと心配にもなったが、亭主もそれなりに日常をエンジョイしていると私は思う。
しかし、そうそう楽しいことばかりではなかったのは確か。全く違った価値観の中で育った男女が結婚をして同居を始めて、何でもかんでもうまくいくはずがない。そんな中で起きたひとコマ。

まだ、娘が生まれる前のこと。ある日、私は亭主と大喧嘩をした。いや、厳密に言えば亭主がかなりマズイ状況を作ってしまい、この段階で亭主に反論や言い訳の余地は皆無だった。私は泣きながら亭主を罵倒しなじった。
それでも私の気は治まらず私は家を飛び出した。こんな場合、自分の実家へ行くのが基本なのだろうが、私は実母とは合わないし、実母もがんの手術を終えて家へ戻ったばかりでそこへ行って泣き言を言うのも憚られる。私は躊躇うことなく亭主の実家であるヨシエ宅へ向かった。ヨシエの家は市内にはなく、行くにはまずヨシエが在宅しているかを確認しなければならなかった。電話口での私がいつもと様子が違うと察知したヨシエは間髪入れず「すぐにウチにおいで」と言ってくれた。私は地下鉄、バス、JRを乗り継ぎヨシエ宅へ着いた時には午後三時を過ぎていた。
「ご飯食べる?」
ヨシエはまず、私の機嫌をよくするためと落ち着かせるために、ご飯の用意を始めたが私はこれを拒否。ヨシエは飯を拒否した大喰らいの嫁に危機的状況を改めて感じ、すぐさま相談タイムとなった。私はヨシエに延々と亭主の悪行三昧を全て暴露した。(自分の都合の悪いことは省きながら)
「自分のお母さんにはこのこと、伝えたのかい?」
のヨシエの問いに

「結婚して○○の姓を名乗れば、私の母親はヨシエじゃないのか?それに息子のデキの良し悪しはまず、産んだ者に責任を問うべきではないのか?」
と言った。かなり以前から私はPL法の主張をしていた訳だ。それを聞いたヨシエは顔色が変わり、すぐさま亭主の携帯に電話を始めた。
「あっ、私だ。○○さんが今、ウチに来ているけど、どうして来ているかはアンタ、わかるよね?すぐにここに来なさい。え゛っ、仕事!?ふざけるんじゃない。家庭も護れないのに、何が仕事だ。いいか、直ぐに来なさい。命令だから!」
ヨシエは鼻の穴を膨らませながら電話を終えた。疲れて顔色の悪い、そして泣いて腫れた私の顔を気にして、休めばいいと二階の霊道の行き止まりでもある、あの部屋へ布団を敷いて休ませてくれた。有難かった。
(霊道に関する話は3月9日の『ヨシエと霊道』を参照のこと)

疲れ果てかなり眠ったと思う。一階がにわかに騒がしくなって私は目覚めた。どうやら亭主が到着したようだった。
亭主は私には多少の応戦を試みるが、ヨシエには全くと言っていい程、頭が上がらない。それを弱いとか、だらしがないと言う者もいるかも知れないが、亭主が小児ぜんそくを患い、猛吹雪の中、赤子の亭主を背負って病院へ駆け出し苦労ばかりの子育てを思うと、その感謝の心が口答え出来ない現れなのだろう。私はそんな亭主が不甲斐ないなどとは全く思わない。そこまでして育ててくれた母を今も立てるなんて、立派なものだと思ってる。
その頭の上がらないヨシエを援軍に迎えた私は、もう最強だった。ウルトラマンタロウがピンチの時、ウルトラの父・母や兄弟縁者全てを従えやって来たその姿を見た時のタロウの気持ちが痛い程に理解出来た。むしろ、その場で最高司令官座をすぐにヨシエに進呈してしまったくらいだった。将軍となったヨシエは亭主を下座に座らせ、延々と説教を始めた。ヨシエの説教の言葉に
「それ、私も言ったら、こんな風に言い返されて……」
と、定期的に私は火に油を注ぐ。もう、火に油なんて生易しいものではなかった。原油にナパーム弾をぶち込んでいるようなものだった。亭主は「ごめんなさい」以外の言語を使うことが許されなかった。
最後、ヨシエは私に聞いて来た。こんなアホな息子だが、それでも我慢して一緒にいてくれるか?それともここで見切りをつけて、新しい人生を探すのかと。何の打算もなく私は言葉を吐き出した。
「離婚しちゃったら、ヨシエにもう会えないじゃないか。ご飯のたくさん入った炊飯ジャーを預けてくれる姑はヨシエしかいない。私はひもじい思いをしたくはない」
ヨシエは笑った。そして、言った。
「仮に離婚しても私が許すから、ここに来たらいい。遊びにでも泊りにでもご飯を食べにでも。こんなバカ息子は出禁にして、アンタをこの家の客人として歓待するから」
ヨシエのこの言葉に俯いていた亭主の顔色が変わったのを私は見逃さなかった。離婚も面倒だけど、面倒な離婚をしても、実家に私がかなりの頻度で来てご飯を食べている姿を想像したらしい。亭主に既に戦意はなく、土下座モードに入っていた。
最後はヨシエも手をついて謝ってくれた。こんなバカ息子だけど、よろしくお願いしますと、畳に顔が着くほどにヨシエは私に頭を下げてくれた。やめてくれ、それだけは!
「私はヨシエの娘だろう?だったら、娘に頭なんて簡単に下げないでよ。義理の二文字が私には邪魔なくらいなのに、義理なんて言葉要ないくらい大切な親だから、泣きながらここまで来たのに!」
この日以来、私もヨシエも互いに義理の言葉は使わなくなった。最後まで私の味方をしてくれたヨシエを私は自分の肉親同様に思いい、ヨシエに何かがあれば、私は真っ先に飛んでいくと心に決めた。

亭主の仕事の関係で、ヨシエの「泊まっていきなさい」の言葉を丁重に断り私たちは帰路、JRに揺られ流れる夜の景色を見ていた。
「私、これからもアンタとは喧嘩すると思うし、嫌いにもなると思うそして、アンタの実家で飯も食う。もしも離婚することになっても、
ずっと○○(亭主の姓)は名乗り続ける。でも、アンタと縁を切ったらヨシエとも縁が切れる気がするから、私は離婚はしない」
私は言った。その私の言葉を聞いて、亭主がどう思ったのかを私は今も聞いてはいない。ただ、一言「自分の母親と仲良くしてくれる嫁さんって最高だと思う」とだけ言われた。
そして時は流れ、つい先日のこと……


ヨシエ宅に行った時、私は自分の病気が思わしくなく、もしかしたら天寿を全うしたヨシエを送り出す時にはもう、長男の嫁の私はいない可能性が非常に高いかも知れないと伝えた。ヨシエ宅の嫁になったが、私は誰にも迷惑は掛けなくはないし、自分の骨や墓を残すことは、障害のある娘には負担以外の何者もないから、葬儀なしの骨すら残さずこの世から去る自分なりに思い描いていた構想を伝えた。それを聞いたヨシエは即答した。
「私とお父さんで買うお墓に一緒に入ればいいでしょう?私も退屈しないし」
「でも、そんなに広くもないでしょう?私はともかく、息子(亭主)も入れば定員いっぱいだし」
「何言ってんのよ、こんなもの、早い者勝ちよ。先に死んで入った方が勝ちなんだから。後に死んで入る場所が無いなんて後から死ぬから悪いんだ」
その場で唯一、元気だった亭主は「えっ、オレだけ入る場所ないの!?」ときょとんとしていた。

いつでも斜め上を暴走するヨシエが私は大好きだ。そんなヨシエと同じ姓を名乗れることを私は誇りにも思う。

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