好きな家事 ブログネタ:好きな家事 参加中

2月、17年使い続けていたアイロンがついに壊れた。値の張る物は贅沢だと手頃な金額で結婚生活に必要なものを揃えた私だったが、アイロンだけは当時でも1万を超えたT-FALのものだった。重くて慣れるまで本当にしんどかった。けれども、蒸気の出は逸品で、どんなシワでもあっと言う間にピンとした布になった。私はこのアイロンで毎日毎日、亭主のシャツを綺麗にし続けた。
体調が思わしくなく、自宅に籠っていることも多くなっていた私は、何となく世間と隔絶されているような焦燥感を持っていたが、自分がアイロンがけしたシャツを着て出勤する亭主を見送るうちに、このアイロンを通して自分もまた社会参加してると思えると、アイロンがけが楽しくなってきた。使いこなせなかった癖のあるT-FALのアイロンは次第に私の手の一部となってきた。料理も掃除も下手だったけれど、アイロンがけだけは好きになった。他所の御亭主は正直、どうでもいいが自分の亭主にだけは洗ったままのしわしわなシャツを着せたくはなかったし、自分がアイロンがけしたシャツを着た亭主は、見かけは三割増しになっていたとも思えていた。
今は中学生となった娘のシャツも増えて、アイロンは休みなく働いていた。大きな音で蒸気を出しながら、しわしわの布の上を走る様は、道のない純白の原野を駆け抜ける蒸気機関車のようにさえ見えた。そして、春を目前にアイロンは突然、使えなくなった。何事にも諦めのいい私だったが、このアイロンだけは簡単に諦めることが出来なくて、でも、壊れた箇所は素人が見てもどうしようもない個所で、私はついに使用を断念した。大袈裟かと思われるかもしれないが、自分に取ってひとつの時代が終わった様な気さえした。
新しいアイロンが必要になったが、私はなかなか新しいものを選ぶことが出来ず、溜まる洗濯を終えたしわだらけの洗濯物を前に悩んでいた。
「T-FAL買えばいじゃん」
亭主はそう言ってくれるが、私は簡単に首を縦には振れなかった。そこそこお高い値段も一因ではあったが、それ以上に問題になったのは、このアイロンの重さだった。水を満水にしたら1.5キロを超えるこのアイロンを、次第に体力を失う私がいつまで使いこなせるのかと思ったのだ。しばらく実家からアイロンを借りて使ってみた。しかし、今までのように綺麗にしわは取れず、何度も何度も私はアイロンをシャツに滑らせるうちに疲れて来た。重くても一度滑らせればしわの消える今までのアイロンがいいとやっと決心が着いて、壊れてから約1か月後、我が家には2代目(2台目)のT-FALがやって来た。
確かに重かった。今まで以上に重かった。でも、アイロンが軽々しわを消していく様子を見ていて私は嬉しくなった。初代は今も私のすぐそばに置いてある。亭主と大喧嘩しても、このアイロンがけだけは放棄しなかった。私と世界を繋いでくれた大切なアイロン。きっと捨てられないと思う。(それ以前に、アイロンじゃくて亭主を捨てるかも知れないな・苦笑)

ちなみに、私がアイロンがけが苦痛でないのには訳があった。小学校の頃、給食当番があって、学校から支給された三角巾に割烹着を週末、持ち帰り洗濯してアイロンがけして翌週、次の当番に渡すのだ。クラス、いや、少なくとも自分の学年はみんな親がやってくれていたそうだ。でも、共稼ぎで夫婦喧嘩ばかりしていた自分の親にそれは望めず、私は手に何度もやけどを負いながらも自分で洗濯しアイロンがけをして持参した。割烹着のアイロンは本当に難しくて、他のクラスメートのものは綺麗にアイロンがけをされていたが、私のものだけは子供の限界に応じた出来だった。当然、いじめの火種にもなった。あの時、何度も下手なアイロンを笑われ貶され、いじめの元とされても私にはそれを止める選択肢はなかった。他に代わってくれる者がいなかったからだ。泣きながら、やけどしながらも3年生から卒業時まで頑張ったアイロンがけは今、自分にとっての唯一、誇れる家事となった。