ごちそうと言えば? ブログネタ:ごちそうと言えば? 参加中
正直、ある時期まで私は食に対して拘りを持つと言う概念すら持ち合わせてはいなかった。

記憶がしっかりと残る頃の私の食の思い出といえは、アンパン、カレーパン、クリームパン、チョコレートパンなど菓子パンばかりしか浮かばない。

生活に追われ両親はずっと早朝から深夜まで共稼ぎを続けていた。
朝、起きると親はなく、私は食卓に用意されている既に冷めたご飯を「おはよう子どもショー」のろばくんとガマ親分を見ながら頬張り飲み込む。腹が減ると困るから、腹に詰め込んでいた。私の気持ちは、目の前の食事よりも、毎朝、繰り広げられる「ろばくん対ガマ親分」の戦いにしか向いていなかったと思う。

昼は給食だが、偏食の多い私にはこんなに苦痛で悲惨な時間はなかった。
嫌いでどうしても食べられないにんじん・玉ねぎの野菜たち。残したものは放課後まで机の上に残され続けた。そこまでしても食べない私の髪の毛を担任の若い女性教師は、抜け落ちるほど掴み引きづり、無理に口をこじ開け野菜を詰め込む。胃は拒絶し、嘔吐する。それを汚いと罵り、新聞やぞうきんを放り投げ掃除しろと命令する。ある日、この担任が翌日、不在になると言ったが、その後の一言が私の運命を大きく変えた。
「先生はいなくなるけれど、○○さん(私)が給食を残したら、どんなことをして食べさせてもいいから」
日頃の教師の姿を見ていたから、同じことをしてもいいのだとまだ8歳足らずのクラスメートらは歓喜した。その日から、私への怒涛のいじめは始まった。教師から免罪符を貰ったのだ、躊躇なんてする必要はないし、そんな考えをする者もいなかった。私は教師公認のいじめられっ子になった。

その頃、既に両親は連日、血まみれの喧嘩を繰り返し、私は家で自分の存在を消すことばかりを考えていた。喧嘩は仕事を終え帰宅してからの深夜。下校して親が戻るまでの時間が、本当に自分が安堵出来る時間だった。(途中からだんだん学校にはいかなくなったが)夕方、6時になると、近くで働く母がアンパンやカレーパンを持ってきて玄関先に置く。私はそれを手にして、何度も見てストーリーも分かり切っているアニメを見ながら、ひとり頬張る。味なんて気にしたことは無い。空腹が満たされるから食う。それ以外にない。
たまに親がいて一緒に食事をする時もあったが、私の偏食に罵倒するばかりで私には苦痛だった。

社会人になって、ひとり暮らしを始めた時、私は部屋で炊き立てのご飯をひとり黙々と食べた。何だか泣けてきた。淋しいとか悲しいとか、理由なんて今も分からないが、とにかく涙腺は崩壊し、私は泣きながら飯を平らげた。ただ、美味かったことだけは今も鮮明に覚えている。

ここまで書けば、きっとこの話のシメは「今は家族でご飯を食べられて幸せです」と来ると思われているだろう。今も私は食に拘りは一切ない。ひとりで黙々と食べても気にもならない。
「もう、あんな地獄からは解放されたのだ」
と、自らに言い聞かせてみても、この思いだけはついに変わることはなかった。
一緒にいる相手に失礼のない様に、相当の言葉を掛けたり労ったりはするが、私は今もひとりでごま塩で握ったおにぎりがあれば、それで幸せを感じている。そこに、例え家族であっても介在の余地はない。
今も菓子パンを見ると、正直、胸が痛い。でも、見過ごせも出来なくて、説明できない苦しいほどの切なさの中、それを手にして買ってしまう。食べると心からほっとする自分。

この数年、ひとりの時はネットで「2ちゃんのニュー速を見ながらのネット飯」が一番のご馳走。他人から自分の作ったものを僅かな塩加減でも何か言われればウザいし、「だったら自分で作ればいいじゃん」くらいにしか思わないし、思えない。

で、今回の言いたいこと。

食ってそれだけ重要なんだよ!

それだけ。