10年前、今の自分想像できた? ブログネタ:10年前、今の自分想像できた? 参加中
10年前、確か10歳を超えていたはずのネコが未だに元気でいる。

亭主と近所に出来た輸入雑貨店を覗いた時に、店員さんに声を掛けられた。
「ネコ、お好きですか?」
可愛い猫グッズでもあるのかと、共にネコ好きの亭主と大きく首を縦に振ったら、このネコを見せられた。
でんすけスイカの空き箱に入れられたまだ500g程の貧相な黒ネコだった。ネコは好きだが顔が……怖かった。
すでに一匹飼っていたので、正直、一匹も二匹も同じかと思うが、とにかく顔が…だった。
亭主と店内を何周かして考えた。店員さんは私たち夫婦をロックオンして着いて来て、飼ってくれるのなら、お店の品をたくさんおまけしますと耳元で囁く。
結局、私たち夫婦はでんすけスイカの箱ごと、ネコを持ち帰った。

肌寒さを感じ始めた札幌の9月末、夜の雨の公園に捨てられていたのを店のオーナーさんが見かねて拾ったと教えられた。箱には雨水が溜まり、まさに死にかけていたとも聞いた。
亭主が好きな飲み物にちなんで「チャイ」と名付けた。
チャイは日に日に元気になり、半年先輩ネコの鉄太郎と仲良く暮らし始めた。
ところがこのチャイ、何につけてもすぐに吐く。飲んでも食べてもとにかく挨拶の様に吐く。
「あっ、ゲロ吐いた!」「ゲロだ、ゲロ!」
掃除しながら
「せめてフローリングにとか配慮はないのか、お前は!」
と毒づく私にチャイは、
「ブギャー」「フギャギャ」
次第に口を返すようになってきた。
「なに、ぶーたれてんだよ、お前は!」
半年後、このネコをチャイと呼ぶ者はいなかった。
ゲロを吐いてぶーたれるんで、それを簡略化して「ゲロブー」と呼ばれるようになり、ネコもそう呼ぶと返事をして「チャイ」と言う言葉に反応の素振りも見せなくなった。

それから、我が家には「ゲロブー」を合わせて10匹のネコが住む大所帯となった。我が家で増えたものはなく、全て保健所でなどで殺処分の一歩手前で引き取ったネコばかりだ。

引き取るとまず、かかりつけの獣医さんへ連れて行き、健康診断をお願いする。先住ネコが病気にでもなったら大変だからだ。この場で健康状態や年齢を考慮して、避妊手術の時期を決める。
「先生、団体割引してよね」
この獣医さんへ来ると私は「大阪のおかん」に変身する。
「しょうがないなぁ。奥さんには勝てないわ」
と、笑いながら先生は安い金額で手術を請け負ってくれる。これは、行場のないネコを引き取った私たちへの厚意でもあったと思う。

小さな頃から小児ぜんそくで苦しんでいた亭主が、自宅でネコの多頭飼いなど、ヨシエが知ったら卒倒する。ネコを飼ったことを私たちはヨシエには出来る限り黙っていた。
「オレ、ぜんそく起きたら……今更、発作が起きたからってネコを手離したり出来ない!」
涙ぐむ亭主に
「安心しろ、ネコは処分なんてしない。お前が近所に部屋を借りてそこで暮らせばいいだけだ。
 この前、亡くなった人が出たアパート。あそこ格安で貸し出すそうだぞ」
私の本気に、亭主は以来、本当にぜんそくの発作を起こさなくなった。(事故物件話は実話)

子どもを授かるなんて思ってもいなかった私が出産をして家へ戻った時、10匹のネコたちはこぞって出迎えてくれた。赤ちゃんにネコが悪さをするなどと言う者もいるが、それは満足なエサもない時代の話であり、今時のネコはちゃんと飼育していたら、悪さなんてしやしない。
病気だ、ばい菌だと騒ぐ者もいるが、んなもん、こまめに手荒いすりゃ問題ない。赤ちゃんのそばでたばこを吸ったり、人ごみに平気で配慮なく連れ歩く方が801倍危ないと私は声を大にして言いたい。(だから妊娠しかたらネコを捨てるなんて絶対にするなとも言いたい)

ネコたちは子育てを手伝ってくれた。大袈裟ではなく本当に。
倒れそうになれば、8Kg越えの大きなネコが、娘の横にすっとたち、自分の身体を預け支えになってくれた。
娘が不穏な動きをすると、教えに来てくれたりと、ネコたちがいなければ私の子育ては成立しなかったとも言える。

ネコは病気や老衰でどんどん死んでいった。その都度、もう立ち直れないくらいの悲しみに打ちひしがれる。でも、飼う方も飼われる方も真剣だったから死を迎えて悲しいし、泣くのだと思う。
「ペットは死ぬから可哀想。だから飼わない」
と、言う人もいるが、どうして、
「泣くほどに悲しむほどに家族として暮らしてくれてありがとう」
と、思えないのかと私はむしろ不思議に思う。人間が「生き死に」を避けられる訳がないのだ。

バタバタと寿命を迎え死んでいったネコたちを見送ったゲロブーは今、20歳を超えてまるで死ぬことを忘れたかのように元気に今日も「ゲロを吐いてぶーたれて」生きている。
痴呆症も進んで、飼うと言うより「介護生活」だが、「しょうがねーなぁ」と今日も家族で見守っている。

ネコが20年を超えても元気だなんて、10年前には想像もしていなかった。