「春の曲」といえば何が思い浮かぶ? ブログネタ:「春の曲」といえば何が思い浮かぶ? 参加中
昔、春になると大手化粧品会社が、有名な歌手を起用してのCMと共に華やかに化粧品の新作を発表していた。私が高校を卒業する頃に流行っていたのが矢野顕子の『春咲小紅』。その歌がテレビで流れ、歌を口ずさめるくらいになった頃に、各化粧品会社から女子宛に「化粧の講習会」なる案内状が届けられる。
「社会人として化粧ぐらいはマスターしておきましょう」的発想と自社製品の宣伝も兼ねていたと思う。
それまで例え真似事であっても、色の濃いリップでさえつけたことのない私は、それに出ることで僅かだが初めての化粧品を手に出来ると知って、心弾んだ。
そして、当日。日頃、学校で顔を合わせていた女子の殆どが、笑顔でそこへ来ていた。『殆ど』と言うのは、一名だけその場にいない者がいたことがすぐにわかったからだった。A子の姿は最後までなかった。

A子は幼いころ、母親の不注意から顔面に大やけどを負って幾度も大変な治療を受けたが、ある程度までしか回復が叶わなかったと聞いた。A子とはクラスは違い、話したこともなかったが、目が合うと静かに微笑んでくれた。
それまでの(小中学校)いじめで荒んでいた私は、何も語らずとも、自分を見ると微笑んでくれたA子に好感を持っていた。当然ながら、A子をいじめたり、そのことで何かを言う様な輩はこの学校には誰一人いなかったことは、当時を思い出す者全に救いをもたらしていると私は思う。後に友人のひとりと話をした。
「短足もニキビずらものっぽもちびもいたし、A子もそんな中のひとりくらいにしかおもっていなかった」
誰もがそう思っていた。だから、A子のその姿を気にすることもなかった。けれども、それは見方を変えればA子の背負う闇に誰もがノーマークだったことでもあった。

講習会に参加しなかったA子。人知れず私はA子がどんな思いで、この講習会の案内状を受け取ったのかを、空席だったその場を見て、初めて気付いた。そして、数日後に事件は起きた。A子は実の母親に殺されてしまったのだ。

A子は自らの顔のやけどをかなり気にしていたそうだった。そして、事あるごとにそのきっかけを作った母を責めていたそうだ。化粧の講習会の案内状がA子の思いを最大に爆発させるきっかけを作ってしまった。
責められ続けたA子の母親は、自責の念に駆られ娘をついて手にかけてしまった。
小さな田舎町は、連日、マスコミで大騒ぎとなった。学校で静かに微笑んでいたA子の本音をこんな形で知りみんなが心を痛めた。私はもらった化粧品を全て捨てた。

どうにかなる訳ではないと知りながらも、母を責め続けたA子。そして、それを延々と受け止め続けた母親。
まさに双方が修羅場であり、地獄であったと思う。

『春咲小紅』を聴くと私は春到来を感じる。
そして、講習会を辞退したA子を今も思い出さずにはいられない。
高校を出たばかりの自分に出来ることなどなかったことはわかるが、それでも悔やまれる。
あの笑顔の意味を読めなかった自分が情けない。