初恋、おぼえてる?【投稿でストロボ・エッジ映画鑑賞券が当たる】 ブログネタ:初恋、おぼえてる?【投稿でストロボ・エッジ映画鑑賞券が当たる】 参加中
小中学校といじめにあって、本来の半分も学校へ行っていなかった自分に、世間一般でいう様な淡い初恋なんてなかった。アルコール中毒で暴れる母親は、酒を飲むと全ての箍が外れ隙あらば私の首を絞めようとさえしていた。父親は私たちを捨て、愛人を選んでいた。
普通に学校へ行ける様になったのは、田舎町で高校に入ってからだった。何日か通い始め、自分がいじめの対象にならないとわかった時、私の心に僅かに余裕が出来たのかも知れない。私は生まれて初めて人を好きになった。相手は父親と同じほどの歳の既婚教師だった。
正直、カッコいい訳でもなかったし、年相応にくたびれ感もあり、生徒たちは彼を馬鹿にしたりもしていたが、私だけはその先生から目が離せずにいた。その先生と一緒にいたいがために、先生が顧問をしていた部活にも入った。朝5時台に家を出ての始発バスに揺られ学校へ行き朝練。昼休みに、そして放課後、暗くなるまで私は部活に没頭した。視線の先にはいつも先生がいてくれた。

先生は奥さんと別居をしていた。理由は今もわからない。私自身も12歳から両親が別居していて、先生は私の身の上を知って、明るく優しく接してくれた。日々、自分の思いが加速して暴走するのが痛いほどにわかる。でも、どう頑張っても報われる要素など皆無。でもそれでよかった。見ているだけで、一日僅かでも自分を気にかけ笑顔をくれる先生に、女子高生の私は通常、有り得ないような想像をし、それを願うようにまでなっていた。
昨日まで村下孝蔵の『初恋』を涙ぐんで聴いていた私が、気付けば石川さゆりの『天城越え』に共感していた。大人の階段を三段ぐらいすっ飛ばして駆け上っていたのかも知れない。
ある日、部活途中で具合が悪くなって先生が自宅まで自分の車で送ってくれた。飲み屋をやっていた家に先生が来ることに抵抗のあった私は、泣きながら先生の車での帰宅を拒んだが、先生は自宅まで私を送り届けてくれた。まだ、酒が抜けてない母が怪しい呂律で挨拶をする。大好きな先生には絶対に見られたくはなかった光景だった。先生の態度が変わることはなかったが、私はいたたまれない気持ちを抱いたまま、翌日、部活を辞めた。先生はかなり引き留めてくれたが、自分の背負っていた負の部分を見られてしまった私の意志は固く退部を撤回することはなかった。学校内で、授業で先生に会うことはあったが、私は目さえ合わせられなくなっていた。翌年春、雪の残る校舎で私は遠くの街へ転勤することになった先生を見送った。手紙一つ、言葉一つ私は先生に渡すことは無かったが、以来毎年、先生から元旦に必ず手書きの年賀状が送られてきた。一年に一枚ごと、私の宝物は増えて行った。

数年経って私は先生のいる土地へ来た。仕事を見つけアパートを借り暮らし始めた。淋しさで心が折れそうになった時、私は先生からの年賀状に記されていた電話番号にダイヤルした。先生の声は相変わらず優しく、離れてから何年も音沙汰が無かった私からの連絡に、何かを察してくれたのかも知れない。
「お前、酒飲めるのか?」
母親で苦労していたから酒なんて大嫌いだった、でも、言えない。私は笑いながら言った。
「飲めますよ。もう、社会人だし、二十歳超えてるし。酒、大好き」
その夜、先生は酒を手に私の部屋へ来た。

先生はかなりの白髪頭になっていて、時の流れを改めて感じた。
特別な話など互いにしなかったし、ましてやいかがわしいことなども誓ってなかった。私たちは朝まで笑って飲んで笑ってまた飲んでを繰り返した。
地下鉄の始発に合わせて朝もやの中、先生は帰って行った。何度も振り返る先生の姿がもやの中に消えていく。欲しかったけれど、人のもの。我欲に負けて奪ってしまえば、愛人に家庭を壊された私や母と同じ悲しみが増えるだけだと、私は唇を噛みしめ、駆け出さないように足を踏ん張り玄関先で先生を見送った。それが先生との最後だった。

それから私は石川さゆりの『天城越え』から、中島みゆきの『わかれうた』、山崎ハコの『恨みます』を口ずさむような更に悲惨な大人の階段を躊躇うことなく上り続け、瀕死の状態で亭主と出会い、今の生活を手にした。更に、長い長い年月が流れた。娘のことで四苦八苦しながら、ある日、何気なく先生の名をググってみた。先生はその前年にガンで亡くなられていた。教え子たちに慕われて、教え子たちが学校の垣根を越えてお別れ会を行ったことも、その時に知った。もう、二度と先生の笑顔を見ることが出来ないのだと知って、ひとりで泣いた。薄れ忘れかけ擦り切れたような思い出を辿り、先生の笑顔を思い出しながら泣いた。

一昨年、私は出先である関東地方で軽い気持ちでの眼科診察で、目の疾患が進んでいて既に視野が半分近く欠けていることを指摘された。紹介状を書くので札幌に戻り次第、すぐに治療を開始するよう言われた。事の重大さが理解出来ぬまま私は紹介状を携え眼科を探した。自宅から離れていたが、偶然見かけた眼科。何の接点もなかったが、私はそこへ吸い込まれるように入った。
「○○さん、どうぞ」
診察室で医師から呼ばれ、私はカーテンを開けた。そこにいたのは……
先生と瓜二つの顔と声をした眼科医だった。

私はサマージャンボと年末ジャンボを引き当てた程の確率で、難病を併発していたことがわかった。次第に全身の筋力を失い寝たきりとなり、視力も失うであろうとその医師に宣告された。先生の告知にだんだんと視界が歪む。
「いや、必ずそうなるという訳ではなりませんからね。でも、そうなることも考え、今後は生活や生き方を考えられた方がと……」
どうやら医師は、私が自分の置かれた状況に耐えきれず泣いたのだと思ったらしい。違う、違う。
見えなくなったって、動けなくなっても私はよかった。その見えなくなる最後の瞬間、自分の網膜に大好きな亭主と娘、そして先生にそっくりなその医師の顔を焼き付けられることが嬉しかったのだ。


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