番ぬこ。
今まで録りためたアニメ「電脳コイル」をちまちま見ている。
途中忙しくなり、最後まで見てなかったのだ。
電脳コイルは日本アニメの正統後継者だ。
本編を見てればわかるが、
宮崎駿、押井守、そしてエヴァの影響を胸張って主張している。
それは、出来に自信があるからに他ならない。
舞台はごく近未来。
攻殻機動隊のように、電脳化した社会。
ただし、街の風景はむしろ退化ぎみ。
つまり、昭和後期の風景。
リアルな空間に電脳がテクスチャーのように貼りついた、
2重世界である。
その隙間をぬって繰り広げられるのは子供のやんちゃ、いたずら。
ドラえもんの空き地が電脳空間と代わり、
その活動舞台は都市伝説へと繋がっていく。
駄菓子屋に、神社境内、裏路地。
昭和後期の風景は、明らかにスタッフが過ごした少年時代のものだ。
ドラえもんが提示した、昭和中期の風景の後がまである。
意図して作られた風景だからこそ、細微にわたり美しい。
そういうアニメは随分増えた。
自らの世界を再構成する。
明らかに、時代は進んだ。
でも、ここまでその意図が機能的に反映されているアニメは知らない。
主人公達は小学生。
大人に比べれば非力である。
かといって、超能力は使えない。
そういうアニメではない。
むしろ、その非力さを魅力とする。
それは、電脳を駆使することで、日常をドラマチックに変えたからだ。
本来、空想好きなやんちゃ坊主の日常はドラマチックなものである。
しかしそれは、本人だけにとって。
それを「電脳コイル」は、俯瞰者から見てもドラマチックなものに変えた。
共感できるものに変えた。
本来これは、私達の世代の、心の風景なのだ。
そこに、新たな世界、「電脳」が入り込んだのである。
その意義は大きい。
非力な少年少女達の、リアルな必殺技。
それは、
「走る」しかない。
昇竜拳は出ない。そんなものは使えない(電脳でビームは使っているけど)。
「走る」ことが、何よりのダイナミズムなのだ。
だから、このアニメは「トトロ」の後継者なのだ。
走ることが最大の美しいアクションであり、またエロスの放射なのだ。
まだ最後まで見ていない。
全26話。
ちょっとづつ見てます。