その6よりの続き
レクイエムの「ディエス・イレ」=「怒りの日」は天国か地獄か神が死者に対し最後の審判を下すシーンを描いています。カトリック教会のミサ曲の中でも最も重要な曲です。

歴代のレクイエムは大抵「ディエス・イレ」に一番重点が置かれています。つまり最後の審判で許しを得て天国に行けるという図式があるので、その部分をいかに劇的に表現するか、ということに作曲家のオーケストレーションや様々なことで腕の見せ所となりやすい所なのです。

前回お聴き頂いたヴェルディやモーツァルトのレクイエムでも、いずれも神の威厳を印象づけるために怒りの日をレクイエムの前半に独立した曲として置いています。


ところが、フォーレのレクイエムには「怒りの日」という独立した曲は登場しません。その代わりフォーレは「リベラ・メ」の中にある、「ディエス・イレ」の歌詞に着目し、部分的に怒りの日風に作曲したのです。
しかし、何故フォーレはこのようなレクイエムを作曲したのでしょうか?
To be continued.
今日は、フォーレのレクイエム第5曲「アニュス・デイ(神の子羊)」をお聴きください。
P.S. iPhone なかなか 使いこなしていませんが、やっと着信音を作ることができました。
ケックランのピアノ曲です(レアだ・・・)
ケックランのピアノ曲が着メロで聴こえてきたら、それは勇さんです
レクイエムの「ディエス・イレ」=「怒りの日」は天国か地獄か神が死者に対し最後の審判を下すシーンを描いています。カトリック教会のミサ曲の中でも最も重要な曲です。

歴代のレクイエムは大抵「ディエス・イレ」に一番重点が置かれています。つまり最後の審判で許しを得て天国に行けるという図式があるので、その部分をいかに劇的に表現するか、ということに作曲家のオーケストレーションや様々なことで腕の見せ所となりやすい所なのです。

前回お聴き頂いたヴェルディやモーツァルトのレクイエムでも、いずれも神の威厳を印象づけるために怒りの日をレクイエムの前半に独立した曲として置いています。


ところが、フォーレのレクイエムには「怒りの日」という独立した曲は登場しません。その代わりフォーレは「リベラ・メ」の中にある、「ディエス・イレ」の歌詞に着目し、部分的に怒りの日風に作曲したのです。
しかし、何故フォーレはこのようなレクイエムを作曲したのでしょうか?
To be continued.
今日は、フォーレのレクイエム第5曲「アニュス・デイ(神の子羊)」をお聴きください。
P.S. iPhone なかなか 使いこなしていませんが、やっと着信音を作ることができました。
ケックランのピアノ曲です(レアだ・・・)
ケックランのピアノ曲が着メロで聴こえてきたら、それは勇さんです


でこの言葉について盛り上がって語り合ったことを思い出しました(笑)
