2011年9月11日 | ジャカルタ駐在アラサー男子

ジャカルタ駐在アラサー男子

2011年6月末で会社を辞めて、2011年7月中旬より、インドネシアのジャカルタの会社に就職することとなりました。さらに2012年8月に結婚、新婚生活を始めました。

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今日は、2011年9月11日です。

あの忌々しい
・2001年9月11日から10年
・2011年3月11日から半年
ともに、節目。

今でも思い出せば鮮明によみがえります。
旅客機がツインタワーに突撃する映像が。

ニュースステーションを見ていてただただ驚いたのを克明に覚えています。
それから、赤ちゃんフェイスの某国の最高責任者が無駄な戦いを、まるでヴェトナムの二の舞になるかのような無駄な戦いをすすめ、イスラム諸国=悪という意識をわれわれ西側諸国の人間に植え付けました。

いま、そのイスラムの国に居ます。

確かに中東のように国を挙げて戒律に非常に厳しい国でもありませんが、街行く人々(とくに女性)や聳え立つ建物を見ると、確かにここはイスラムが大多数を占める世界最大のイスラム人口を抱える国家なのです。


先週末、JJCからメールが来ました。
内容は、西側諸国は9.11から10年となる今年の9.11について非常に警戒している。
本国に居る日本人諸君も念のため危ないところには近づかないほうがいいとのことでした。

そんなことを言われても、今日も街中をうろうろしていましたが、幸い欧米系のスポットに顔を出さなかったからか、特に何も問題はありませんでした。


世界的にはこのように9.11についてさまざまな思いが巡っていたようです。

一方で日本のテレビは、むしろ3.11から半年という点にスポットを当てていると思います。

あの日の東京は、大混乱でした。

たったあの程度(東京自体はあの程度といえるレベルと考えています)で、首都直下型地震や東海地震に備えていたあの日本の首都がはるか離れたところの地震でこれだけ都市生活機能が麻痺したのです。

もちろん三陸をはじめ関東~東北の太平洋沿岸の被害はきわめて甚大であり、さらには悲しいかなフクシマの名前を全世界に知らしめてしまうこととなってしまったのです。

防災危機管理の甘さが次々と露呈し、政治の甘さとあいまって国政はこの半年間全く、全く、全く、これっぽっちも機能せず、揚げ足取りと保身にのみ終始する茶番劇でしかありませんでした。

いつから国会議事堂は三文役者の集う国会劇場になったのでしょうか。

国会劇場の新しい劇場支配人サマにはどうぞ劇をハッピーエンドで締めくくっていただきたい。

全てについて国民が合理的であると判断し納得ができる言葉で、この国難を乗り切っていただきたい。

国難とは
・東北国土再生計画
・フクシマの処遇と将来設計
・国家危機管理体制の見直し
・相対強度を増した円を巡る政策
・財政の再建とビジョン策定
・政治不信・無関心の払拭
・失われた平成時代からの経済浮上
私の弱い頭で考えても、可及的に取り組むべき課題はこんなにもあります。

まだまだ、じっくり腰を据えながらも速やかに取り組むべき問題は多々あります。

それらすべてについて、最適な人物に最大限の行動を行ってもらい、それらのつくる矛盾について折り合いをつけ、国内外からある程度の納得を得られる為政を願いたい。

私が新政権に望むこと、それは国内の信用はもとより世界から信用の得られる、息の長い政権運営をお願いしたいことです。

民主党政権になって2年ほど、どれだけ内輪でバタバタしてどれだけ人の上に立てない人間が誤って人の上に立ってきたか。。。

またしてもdisappointed...といわれぬことを願います。