2026年6月26日(金)


今日はがん専門クリニックで高濃度ビタミンC点滴(50g)してきました。


いくつかの抗癌効果が報告されていますが、個人的に期待しているのは、特に「過酸化水素による選択的毒性」(がん細胞のみを攻撃)と「免疫細胞の活性化」です。

免疫療法との併用効果も報告されていますが、私は丸山ワクチンとの相性は決して悪くないのではと考えています。

丸山ワクチンは免疫の司令塔である樹状細胞を活性化させる一方で、高濃度ビタミンC点滴はナチュラルキラー細胞などの攻撃部隊の攻撃力を強化するとされているので、相乗効果に期待しています。

季節外れのカーリングに例えると樹状細胞がストーン🥌を正確に投じて免疫細胞が力強く氷を擦る(スイープする)イメージです。


膵がんは、痛みが非常に強いがんとされています。

でも、

「痛み止めは極力飲みたくない」、

「麻薬は怖い」、

「最後みたいで嫌だ」、

という、患者の気持ちは痛いほどわかります。


2021年12月

残念ながら試験開腹に終わった手術後、激痛に耐え切れず、たびたびナースコールして硬膜外鎮痛薬点滴の「おかわり」を要求していましたが、そのくせ処方された痛み止め薬は服用しませんでした。


確か「トラマール錠」という内服薬でしたが、病室ベット上でネット検索したところ「がん性疼痛・腫瘍痛用鎮痛薬」とあったので、「この激痛は外科手術の傷口によるものだ!」と処方に納得していなかったのです。

というか、「この痛みはがんとは無関係だ!」、「まだ、がんの痛み止めのお世話にはなりたくない!」という思いと、「この薬を飲んだら腫瘍痛であることを認めることになる」という拒絶感さえ抱いていたのです。


子供の頃から、教師などいわゆる「権威者」から指示されても自分が納得しなければ、従わない(あからさまに反抗はしないがスルーする)頑固なところがありました。

「朝のホームルームで何か気に入らないことがあると一日中、教科書をランドセルから一冊も出さず口もきかないので指導に困っている。」などと小学校の担任から母親にSOS連絡がきて校長室に呼び出されていたことを成人になってから聞かされました。

母親は下手に刺激すると態度をさらに硬化させることがわかっていたので、あえて学校側から呼び出された事を黙っていたようです。

私的には少なくとも教室内では、そんな悪態をついた記憶は全くないのですが・・・。


S大学病院に入院していた当時はコロナ禍で入院病棟が患者でごった返して4人部屋に6人も押し込められており、看護師も多忙を極め患者が処方薬を服用したか否か確認する余裕はありませんでした。

何故トラマール錠が処方されたのか病棟薬剤師に確認すれば良かったのでしょうが、当時の私はメンタルが崩壊して投げやりになっていたこともあり、冷静な判断が出来なかった面も否定出来ません。

結局、退院するまでトラマール錠は1錠も服用せずカバンにため込んで退院後全て廃棄しました。


人間誰しも強い痛みに直面すると、身体は緊張して呼吸も浅くなって心もギュッと縮こまってしまいます。

痛みを我慢していると気分も滅入ってきます。


私のこれまでの人生の中で最大の痛みは「痛みの王様(King of Pain)」とされる「尿管結石の痛み」でした。

瞬間的な痛みの強さは尿管結石が上との声もあるようですが、膵臓がんが神経に浸潤した場合は、激痛が24時間休みなく何週間も続くため、身体的・精神的消耗が激しく「辛さの総量」は、やはり「がんの王様」の方が大きいようです。

尿管結石は短距離走のような激痛、膵臓がんは長距離走のような持続する苦痛と例えられることもあります。


ですので、私にとっては「緩和ケア=痛み対策」というイメージが強いです。

幸い今のところ痛み止めは服用していませんが、今後痛みが出てきた場合、強力な痛み止めを早めに服用したいと考えています。

痛みがある時が嘘のように動けるようになる、「痛みがあっても仕方がない」ではなく「痛みがないのが普通なんだ」という状態に持っていきたいところです。

これができると、患者は自分の生活を守れます

そして、生活が守れると患者の「心」が守られるのです。


私は緩和ケアの本質は、ここにあるような気がしています。


“命を延ばす”だけが医療ではありません。

“生きている実感を取り戻す”ことも医療だと思います。


治療を止めるとがんは確実に身体を蝕んでいくでしょう。

でも、一瞬でも“がんを忘れられる時間”は人に生きる気力をもたらします。

そして、この「楽しかった」があると、次のつらい日を耐える“支え”になるのです。


私にとっての緩和ケアは、「最後の医療」ではなく「最後まで生きるための医療」なのです。