2017.07.26-2019.06.26の累計利益は+2,704,755円です。
先週はたまにブログに出てくる住職とのお仕事の関係で2日間京都に行ってきました!
私は無宗教なんですけど、新しい考え方を人から聞いたり本を読んだりすることが好きで、
日々いろんなものに興味を持つわけなんですが、(教育だったり美容だったり歴史だったり農業だったり健康だったり)
今回はその一つとして「仏教の考え方」というものを住職とのお仕事で少しずつ知って面白いなあと感じている今日このごろです。
仏教の考え方といっても昔むかし阿弥陀様が・・・とかそういう話はまだ勉強不足で詳しくは分からなくて
例えば本屋さんにある
「ストレスとの向き合い方」とか「失恋から立ち直る本」とか「自己啓発本」とか
【この社会を生き抜くことに必要な知恵的なもの】系の本は結構読んできたと思っているのですが、
それらの本はどこか仏教の話と通ずるものがあって、
自分自身がその考え方でだいぶ楽になった経験があるから余計に面白いんだと思います。
「宗教」ってしちゃうといろいろ問題が大きくなってハードルが上がってしまうのかもしれないけど、
「一つの考え方」として自分の中にエッセンスを取り入れることは気軽にできるものだと思っています。
昔からなんとなくお寺や神社が好きで、さとうみつろうさんという方の影響で定期的に神社仏閣に行くようになって、
住職ともお仕事ができるようになって仏教でも「縁」という言葉を使うのですが、
本当に縁だと思っています。
知ってしまえばすごく考え方が楽になったり、
それによって物事が好転していくことってあって、でもそれは必ずしも科学的に証明できるものじゃないから伝えるのは難しい。
でも仏教ってすごく昔からあってずっと残ってるってことは、いつの時代でも役に立つから残ってるはずだと思っています。
例えば私は辛い時住職にお妙棒をいただいて「毎日南無阿弥陀仏って唱えてご覧、そのうち変わってくるから」と言われ
半信半疑で、でも幸い素直な性格ゆえに割と毎日続けてたんです。
友達に言っても笑われたり、また騙されてない?大丈夫?って心配されたり、ついに宗教勧誘されたの?って言われたり・・・
でも私は詐欺にあって詐欺師を恨む気持ちでいっぱいになってしまったり、毎日忙しくなにかと理由をつけて辛くなってしまう時の状況をなんとか変えたくて、ことあるごとに思い出した時には必ず言っていました。
そうしたら、ネガティブ思考がだんだん変わって、辛いことが起きても「これはなにか意味があるのでは?」と思ったり、
悪いことが起きても、ものごとを肯定的に捉えられるようになったり、
周りの人や環境の有り難さに気づけたり、小さな幸せがとっても嬉しく感じられるようになってきたんです。
信じやすい性格ももちろんあると思うんですが、住職に言われた「これを唱えてれば大丈夫」という根拠のない自信が
自分の中で良い作用を起こしたんだと思っています。
勘違いも才能ってやつです。(笑)
住職から言われた言葉の中で印象に残ってるのは
「現代の人は人や物を頼りにしているから不安定なんだ。もっと絶対的なものを頼りにしたら楽になる。」という言葉です。
人を頼りにしてしまうとどうしても人を思い通りにしようとしてしまったり、
人なんて不安定なものだからその人の喜怒哀楽に合わせて自分も乱されてしまったり、
人を思い通りにしようとするから関係性がうまくいかなくなったり、
ものを頼りにするともっと欲しい、食べたいと際限がなくなってしまったり・・・
だったら私の解釈が合ってるかは分からないけど、目に見えないものを頼りにしてみてもいいんじゃないかな、それで自分の気持ちが安定するんだったら、という感じです。
京都では西本願寺の普段特別なときに入るところに入れてもらってとても綺麗なお庭を見たりお部屋を見たり、
400年以上前の木の柱を見たり、ふすまに書かれている絵を見たりものすごく歴史を感じました。
そこは昔お坊さんと相談に来た人が会う部屋だったり、お能を見るお部屋だったり、
そこにはお坊さんが尊く見えるような建築上の工夫なんかもされていたり、
遠くから来た人をもてなすために異国情緒のトラや外国のヤシの木のようなものが植わっていたり、
西本願寺は秀吉、東本願寺は家康が寄進(?)していてまったく別物とか
2つお堂がある理由とか教科書には載っていなかった楽しいお話をたくさん聞けて大変勉強になりました。
歴史に造詣が深くない私でもほんの少し昔の息遣いというかそういうものが感じられて
やはり百聞は一見に如かず、いくら話で聞いていても、本物を見るということは他には代えがたい貴重な経験となりました。
知るまで興味がなかったというか、知らなかったという感想が近いのですが
知ったら知ったでグッと引き込まれていく自分がいて、そのことそのものを知ることができた喜び、なにかを見て美しいと思えることが幸せだとしみじみと感じていました。
それから、宗教法人の組織図なんかの説明も聞いて、国会のようなものがあったり、裁判所のようなところがあったり、
歴史として長く続いているのはきちんと組織だっていることが所以なのだな、と思い大変勉強になりました。
実は住職に会う前にも過去別のお坊さんに会ったことが会って
そのお坊さんはたまたまかもしれないけど「坊さんは金と女だ」みたいなことを言う方であまりお坊さんに対して良いイメージがなかったのですが、
今回はみんなで集まった夜の食事のときに
住職の議会に対する考え方を聞いたり、「悪いことはしない」と言っていたり、とても偉い方であるのにまだやらなきゃいけないことがある、
と課題意識を持っていて、伝統的なものの中に新しい考えを取り入れようとしていたりと
本当に革新的で道徳的でそれでいて偉そうにしたりしない素晴らしい方だと1人で感動していました。
新しいことをするときって本当に多くの人の批判や反対にあったりして大変だけど、それでも現代に生きる人たちのことを考えて、
それから昔から思いを紡いできた人たちのことを考えて、挑戦していく姿が素敵だなと思いました。
2日目には5時に起きて「朝のおつとめ」といってお経を読む体験をしました。
1時間お経を読んだりお坊さんの話を聞いたりするのですが、お経はリズム感が合って、意味は分からないんですけど意外と楽しいし
簡単なようですごく体力を使うものなんだということが分かりました。
西本願寺に日課として来ているおじいちゃんおばあちゃんたちはとても大きな声でお経を読んでいてすごい肺活量だし元気だな・・・と思いました。
それから5時に起きると1日が2日分くらいの時間に感じとてもオトクな感じがしました。
お経を読んで疲れたので朝ごはんがとても美味しく感じられそれもまた幸せでした。
多くの人となにか1つのことをしている一体感のようなものも感じました。
生きるのが辛い人はいっぱいいて、
そういう人はこの投資をやればいいのにとか、この考え方を知ればいいのにとか思うのですが
いかんせん人に強制されることも強制することも嫌いなので、そこまでに至らないので(ある意味冷たいのか?)
どうしたらいいのかそこは自分の課題として残しつつ、素敵なものは利益云々ではなく多くの人に伝わって後世まで残して生きたいなあと思う今日このごろなのでした。
今はその住職がオーナーを務める恵比寿と代官山の間にある「寺カフェ」にどうしたらもっと多くのお客さんが来てくれるのかということが課題らしいのですが、
なにかいい案があったら教えてください。。
投資も仏教でも同じことを思うのですが、
正しく理解すればこの世を生き抜くのに大きなアドバンテージになるから良い考え方だから知ってもらいたい。
そうしたら自殺も他殺も減らせるんじゃないかと思います、それって社会貢献になるのかな?
でも昔からあるものだから誤解や偏見があったり閉鎖的な部分もまだまだあったりして現代に溶け込みやすい形にする必要があると思う。
そのためにはこちらからではなく向こうから興味を持ってもらえることも大事だと思っていて、
今の投資の師匠も仏教の住職もすごく革新的な考えをお持ちの方だからその人達が生きているうちに私もなにか力になれたらと思います。