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今宵、淫な夜空に

悲しい夜空を
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昨年はデビットボウイの訃報から始まり

 

往年のスター達が次々と亡くなってしまった。

 

多大な影響を受けたアーティストが亡くなるのはやっぱり寂しい。

 

 

ましてやデビットボウイは、新作を発表したばかりだった。

 

昨年のベスト名盤にボウイの作品を上げるリスナーは多い。

 

久々の新作は遺作となってしまった。

 

 

 

 

 

 

69歳の誕生日を迎え、新作「ブラックスター」をリリースした二日後に

 

息を引き取ったことになる。

 

まるで死する日を決めていたかのような最期。

 

最期までロマンチック。実に彼らしい。

 

 

 

 

 

ボウイは親日家だ。

 

能や歌舞伎から影響を受けている。

 

しばらくの間、京都で過ごしたこともある。

 

 

 

 

 

上の写真は、

 

ボウイ11枚目のアルバム「英雄夢語り (ヒーローズ) 」の

 

ジャケットを担当した写真家 鋤田正義さんによるもの。

 

しかしどこにいてもカッコイイですね。

 

 

 

 

 

 

 

ボウイの日本好きを語るうえで

 

ファッションデザイナー山本寛斎さんとの出会いは大きい。

 

若かりし寛斎さんの写真を見ていただきたい。

 

当時のロンドンにて寛斎さん。なんたるパワー。

 

そもそも日本人で初めてロンドンでファッションショーをやったのが

 

山本寛斎なのだとか。

 

 

 

 

寛斎さんの作品「因幡の素兎」(いなばのしろうさぎ)という

 

ジャンプスーツをボウイがとても気に入って

 

ステージで着用したのが最初の出会い。

 

 

 

 

当時スターマンと呼ばれていた

 

スペーシーなボウイのイメージは

 

寛斎さんの服ヌキでは語れまい。

 

「ジギー・スターダスト」、「アラディン・セイン」

 

世界ツアーのステージ衣装は寛斎さんの作品だ。

 

 

 

着物の絵柄や漢字を取り入れた和テイストのデザイン

 

袴のようなフォルムのスペースサムライなデザイン

 

歌舞伎の引き抜きの仕掛け(早変わり)を取り入れたスーツなどの

 

突飛なデザインはボウイを驚嘆させたに違いない。

 

 

 

 

 

 

ユニセックスなイメージを持つボウイは

 

同じく歌舞伎の女形にも興味を持ったようだ。

 

五代目玉三郎に化粧を教わったことがあるというのだから

 

もはや筋金入りの日本マニアだ。

 

 

 

 

 

 

 

創価学会員であったという噂も聞いたことがある。

 

東洋思想に傾倒していたボウイは

 

日本発の創価学会インターナショナルにて

 

宗教的思想も学ぼうと考えた。

 

良いと思ったものをどんどん取り入れる

 

勉強熱心なボウイならではのエピソードだ。

 

 

 

 

 

 

私がボウイを知ったのは

 

当時の最先端 ナイルロジャースサウンドの

 

「レッツダンス」であった。

 

グラムロックを経て、商業的にも大成功をおさめていた。

 

その美形もあって日本では

 

女性からの絶大な人気を誇るポップスターだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は生粋のロッカーというよりも

 

表現者というイメージを持っていた。

 

 

 

ボウイ芸術を表現するために

 

ミュージシャンをやっていると思っていた。

 

 

 

事実デビュー当初から

 

歌詞においては哲学・美学的であるとされている。

 

芸術的ロックの旗手ブライアン・イーノとの交流などもそうだ。

(たしかにボウイとロキシーミュージックは気が合いそうだ)

 

アルバムごとにコンセプトや作風を変え

 

常に進化することを望んでいたと思う。

 

 

 

 

 

 

 

かつては、ロックスターお決まりのドラッグなどをやっていたこともあるが

 

ダンスやマイムなどの舞踏を学んだり

 

20もの楽器を使いこなし(琴も練習したようだ。)

 

ステージパフォーマンスや楽曲作りの研究に、非常に熱心であった。

 

芸術や映画を愛し、時には俳優業もこなした。

(戦場のメリークリスマスは話題になりましたね)

 

今、息子は映画監督になっている。

 

 

 

 

ロックの名盤として必ずといっていいほど選ばれる

 

「ジギースターダスト」もワイルドなロックアルバムというより

 

芸術的に表現された映画的な名盤だと思っている。

 

 

 

この頃の大掛かりなステージや衣装は圧倒的で

 

ピンクフロイドと並び多数の関係者が

 

ステージ構成を勉強しに足を運んだそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

レッツダンス以降も 「チャイナガール」、

 

「ダンシング・イン・ザ・ストリーツ」でミックジャガーと共演など、

 

おそらく自身のキャリアで、最も商業的にも大成功していく。

 

そして次なるボウイの提示したコンセプトは

 

シンプルな構成のバンドスタイルであった。(ティンマシーンです)

 

そして突如ポップスターでいることを封印してしまうのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新作でもあり遺作でもある「ブラックスター」。

 

かつてスターマンと呼ばれカルトスターであったボウイ。

 

いつだって成功に甘んじることなく、

 

自身の芸術を表現し続けてきたアーティストの

 

最後の作品は黒い星。光らない(死を想起させる)星。

 

自身の死さえもプロデュースしたかのように思えてならないのだ。