■なぜ今はかつてほど円高にならないのか
近年、円がかつてのように大幅な円高局面を迎えにくくなっている背景には、日本企業による海外直接投資(FDI)の急増がある。
過去10年で日本企業の海外直接投資額は約3倍に拡大しており、この資金移動が構造的な「円売り・ドル買い」圧力を生んでいる。
個人投資家が行う為替取引は、一度円を売ってドルを買っても、最終的には反対売買で円を買い戻すため、為替需給の影響は限定的だ。
一方で、企業の直接投資は片方向の取引であり、海外資産の購入時に円を売ってドルを買う構造が続く。そのため、恒常的な円安圧力として作用している。

■経常収支の構造変化と円安要因
日本の経常収支の構成をみると、かつては貿易黒字が中心だったが、直近3年間は貿易赤字が続いている。
サービス収支や第二次所得収支(政府開発援助など)も赤字傾向にある一方、第一次所得収支(海外投資からの利子・配当など)が大きな黒字を維持している。
2020年には第一次所得収支の黒字が約40兆円に達し、そのうち約30兆円が企業による海外直接投資の収益であった。
しかし、この収益は国内に還流せず、再び海外投資に回されるケースが多い。
つまり、海外で稼いだ利益が円買い需要につながらない構造になっており、円安基調を固定化させている。

■円安と実質賃金の関係
海外直接投資の拡大により、円安圧力が強まる一方で、国内の実質賃金は低下傾向にある。
アベノミクス初期(2012〜2015年)の円安局面では、実質賃金が大きく下落した。
さらに、2021〜2024年の円安トレンドでも、同程度の賃金低下が再び見られている。
トレンド終了後も実質賃金が戻らないのは、企業が海外で得た利益を国内に還元せず、海外再投資を続けているためだ。
言い換えれば、「円安=企業の海外利益増 → 国内賃金停滞」という構図が定着している。

■株価指標の過熱感と調整局面
為替要因で輸出企業の利益が膨らむことで、株価も押し上げられてきたが、バリュエーションの上限感が見えてきている。
・日経平均のPER(株価収益率)はおおむね 18倍前後で頭打ち
・PBR(株価純資産倍率)は 1.6倍前後で上値が重い
これらの水準は、過去の調整局面と同程度の評価水準にあり、円安メリットの一巡後には利益確定売りや調整入りの可能性が高まっている。

日本経済の資金フローと円安構造(図解)
■ 円の流れ:個人と企業の違い
【個人投資家】
円 → ドル資産購入 → 売却時に再び円へ戻す
└→ 為替需給は最終的にイーブン

【企業(海外直接投資)】
円 → ドル転換 → 海外企業・設備に投資
   ↓
 現地で利益発生(ドル建て)
   ↓
 再び海外へ再投資
└→ 円に戻らない → 円安圧力が持続

■ 経常収支の構造変化(フロー図)
───────────────
 【かつて(2000年代)】
  貿易黒字 → 円買い要因
───────────────
    ↓
───────────────
 【現在(2020年代)】
  貿易赤字  ▲
  サービス収支▲
  第二次所得収支▲
  第一次所得収支◎(40兆円黒字)
───────────────
    ↓
  第一次所得収支の内訳
   ├ 海外証券投資:配当・利息収入
   └ 海外直接投資:営業利益(約30兆円)

   この利益は……
   ➡ 国内に戻らず再び海外投資へ
     = 円買いが発生しない

■ 円安 → 実質賃金の低下メカニズム
[円安]
 ↓
輸出企業の利益増
 ↓
国内物価上昇(輸入コスト増)
 ↓
実質賃金 ↓↓(名目賃金が追いつかない)

 アベノミクス期(2012〜15) :実質賃金低下
 円安再燃期(2021〜24)   :再び同規模の下落
 円安トレンド終了後も賃金回復せず
 → 利益が海外に流出しているため

■全体像
日本企業の海外直接投資 ↑
   ↓
構造的な円売り・ドル買い ↑
   ↓
経常収支は第一次所得黒字で支えられるが、
その利益は再投資されて円に戻らず
   ↓
円安定着 → 実質賃金低下
   ↓
株式市場は円安メリット一巡で頭打ち

 

■まとめ
・日本企業の海外直接投資が拡大 → 恒常的な円売り・ドル買い → 円高になりにくい構造
・海外投資収益は再投資され、円買い需要を生まない
・結果として、円安トレンド下で実質賃金が低下しやすい
・株式市場ではPER・PBRが上限水準に達し、調整圧力が強まりつつある