鈴木亜美 joins sugiurumnの情報

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感性はその一面から云えば受容性の能力である、感性的として性格づけることは、であるから、実は之を何かの意味に於て客観[#「客観」に傍点]にぞくするものに帰着せしめることに外ならない。唯物論に於ては存在とは客観である。――代表的な観念論に於てはイデア・観念が存在である、之に反して代表的な唯物論に於ては、存在の概念はとりも直さず物質の概念である、或る特別な存在が物質であるというのではない、物質ということが存在ということだと云うのである。
 処で、観念論的存在論の一つの原理的な作用は、夫が二元論[#「二元論」に傍点]に陥らねばならぬということである。観念論はイデア的・本質的・超現実的・存在を存在と考えるから、之は必然に感性的・事実的・現実的・存在に対立しなければならなくなる。実際、典型的な観念論的存在論はどれも、高貴な存在と卑賤な存在とを仮定する二世界説――理想主義[#「理想主義」に傍点]――として出発しただろう(プラトン、カント)。存在概念それ自身が、結局完全な自己運動を与えられることが出来ないから、夫は運動の動力の一部を、他の下位の存在との交渉から受け取らねばならぬのは当然である(フィヒテの自我は自己運動をする、だが自然というもう一つの存在は自我の運動によってでも運動出来たか。何故フィヒテからシェリングの自然[#「自然」に傍点]哲学が出て来なければならなかったか)。