人は、思いもよらない展開に遭遇したり、ある人に出会ったり自分の思い通りに行かないときなど、あらゆる人生の局面をこれは運命なんだと捉えたがるんだ。
それは、その状況の理由が自分では理解できないからで、自分が分からないことは全て運命として片付けてしまえば、もやもやが解消されて何だか妙に納得できてしまう。
でも、この世界に生きていて本当の運命というのは、男や女に生まれてきたことやこの時代に生まれてきたことなど、ほんの僅かしか存在していない。
目の前にある現象・現状は、全てに原因があって全て自分が引き起こしたことなんだ。
病気にかかるということについてもそうだ。何か大病を患うと、神様が見放したからだとかこうなる運命だと考えてしまうけれども、それもこれまでの自分の生活態度や身体・心の使い方に全て原因がある。
自分は何も身体に負担をかけることはしていないと思うかもしれないけれど、身体はある原因に対して素直に病気という反応を返しているに過ぎない。
今の生活や身体・心の使い方は間違っていますよ、というサインを与えてくれているんだ。
何をやってもうまくいかないときがあるかもしれない。そのときも、自分には才能がないとか、自分は何をやってもうまくいかない星の下に生まれてきたなどと考えてしまう。
でも、それも自分の努力がまだまだ足りないか、方法や考え方がずれているに過ぎないんだ。何かに取り組んで、全く思うような結果が出ないということは絶対にない、絶対だ。
そのときに運命という言葉を持ち出して、変に自分を納得させてしまうからそこで諦めてしまう。辛いことかもしれないけれど、自分の頑張りがまだまだ足りないことを素直に認めて、また一歩進んでいくしかないんだ。
僕は、その他の災害や不運と言われることが自分に降り掛かるときも、その原因は自分が作り出していると考えている。
自分ではどうすることもできない力が働いているように思えるけれども、自分の目の前に現れるということは必ず自分に原因があるし、何らかの意味を持っているはずだ。
このタイミングでこの場所でこれが起きた意味は何なのか、何かが起きたとき僕は常にそれを意識している。その意識があることで、全ての現象を次に繋げていくことができるんだ。
運命と片付けてしまえば、何も考えずに済むし、妙に納得できて諦めもつくから楽だろう。でもそれでは、これから先もずっと何か得体の知れない力に怯えて生きていかなくてはいけなくなる。
逆に運命などなく、全ては自分に原因があって自分次第なんだと深く信じることができれば、自分に起こることは全てコントロールできることが分かるはずだ。