僕たちは日々、様々な物やサービスに囲まれて暮らしている。自分に必要と感じたものを手に取って、実際に購入・使用することで毎日を過ごしている。
でも、良いなと思って手に入れたのに、実際にはそれほどの物ではなかったと感じることがよくあるはずだ。こんなものだよねという、ちょっとした小さな諦め感・失望感の積み重ねが、日々の気持ちにも影響を与えている。
最近は、お店の商品棚やWEBの広告を見ても、どれも売ろう売ろうという無言の圧力を放っている。直接的な言葉ではなくとも、キャッチーなフレーズを使って巧みに僕たちを誘導してくるんだ。
誘導されているとは感じられないように、そっと手を引っ張ってくる。何も知らない人は、いつの間にか相手の陣地でその気にさせられてしまうんだ。
日々こうした無言の圧力を受け続けると、必ず心まで疲弊する。実際の商品もたいしたものでないことが多いから、更に失望感まで感じるんだ。
本屋に足を運んでも、キャッチーなタイトルや目立つ配色で、手に取ってくれという無言の圧力をそれぞれが放っている。そういう作品に限って、パラパラと見てみると中身がないことが多いからがっかりする。手に取った自分がバカだったと、変な後悔が生まれて悔しくなるんだ。
逆にそこから、その仕事をした"人"をしっかり感じられるような物からは、この上ない幸福感を感じる。
僕は革靴が好きなのだけれど、職人の方にハンドメイドで作って頂いたものからは、その方の"仕事"を感じることができる。
縫い目の細部に渡るこだわりから、計算されたフィット感など、靴への愛情や購入者の方への思いやりがはっきりと伝わってくる。だから、履いているだけですごく幸せな気持ちになるし、大切にしたいという靴への愛着が生まれるんだ。
料理などでもそうだろう。子供が母親の料理がやっぱり美味しいと感じるのも、そこに母親の子供を想う気持ちが入っているからだ。
どこかで買ってきた惣菜の方が味は良いのかもしれないけれど、美味しくなくても、そこに母親を感じられる料理に幸福感を感じるんだ。
そうした人の想いを感じられるもので、自分の身の回りを整えてみる。それだけで、日々感じられるものが変わってくるんだ。