こんにちワン
前回の記事を書いている途中で、
「なんだか思っていたより、けっこう文章が長くなりそうだな―――」
なんて思ってしまって、日を改めての構成ということに生意気にもしてしまいましたが、今日は深刻なペットロスに陥ってしまった職場の同僚Aさんの話の続きです。
文章を短くまとめきる能力がなくて、ホント、ナサケナカ
さて…………
深刻なペットロスによる鬱状態に陥ってしまった職場の同僚である30代女性のAさん。。。
その状態はその後、なんと2年もの長きにも及んだというのである。
「えっ!?」と、ボクは驚きの声をあげる。
そしてAさんに訊いた。
「じゃあ、どうして今、こんなに元気でいられるわけよ???」
彼女は隣で鶏の唐揚げをつまみに3杯目の焼酎の水割り(梅干し入り)を呷っていた。
「うう――――ん……
それはねぇ……」
親しい友人が居ないというわけでもなかったが、彼女は愛犬の死後2年近く経ってもなお、誰の誘いにも乗らずに外出することを拒み続ける毎日を送っていた。
「外に出るとさぁ、犬の散歩をしてる人を見かけたりもするでしょ? ああいうのを見るのすらもね、あの頃はツラかったの。。。」
とにかく、犬の遺骨を預けているお寺へと行く以外の目的でマンションから、彼女は依然として一歩たりとも外へ出ようとはしなかったのである。
とは言え、
寺へと行くその道すがらに愛車のハンドルを握っていても、犬の散歩をしている光景に出くわすことなどは、もちろん、稀なことではなかった。
そうなれば、リードを持つ飼い主への羨望に始まって、後悔だとか、様々な思い出が瞬時にして蘇ってきては、息も心も乱れてしまい、彼女は何度も事故を起こしそうに。
それほど当時の彼女は、とても危ない状態だったという。
話を聞いて見かねた彼女の妹が姉の送り迎えをするようになったのは至極当然の成り行きで、幸いであった。
コレに限らず朝夕の食事の世話に始まって、彼女は献身的な家族の愛に支えられていたのであった。。。
だが、本当に愚かなことに、当時の彼女は、そのことに全く気付かないでいたのも事実であった。
実際、心配した彼女の両親が、「そろそろマンションを引き払って、コッチ(実家で)一緒に暮らさないか?」と提案してきたのだったが、彼女はそれを頑として拒んでいる。
愛犬との最後の思い出の詰まった部屋を出たくないという気持ちがまずひとつにはあったのは当然のこと。
それと、もうひとつ。
「犬とは一緒には暮らせない」と、かつて冷たく言われた恨みの念が、あったのだという。。。
なにを今さら…… と。
「鬱でも、そういう意地だけはどういうわけか、あったのよねぇ……」
しかし、働かずしてマンションの家賃を払い続けることには現実的な限界もあった。
東京でOL暮らしをしていた時代に蓄えた貯金はほとんどなくなり、もうどうしようもない状態に。
家族を通じて、すっかり動かすこともなくなってしまった愛車を売りさえもして生活費を捻出して、凌いでいたのだったが……
そんな時、突然の転機が訪れる。
彼女の部屋に母親と共に食事を持って訪れていた妹が、おもむろにテレビ画面を指さして、彼女に向かって、こう言ったのであった。
「ねぇ、○○ちゃん! 今度、コレに行ってみない?」
と。
見るとそれは、市営のイベントホールで次の週末に開催されるという「わんにゃんフェスティバル」と呼ばれる全国巡回型の犬猫即売会の告知CMであった。。。
という。
つづく。。。。