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2011年イタリア旅行


私の乳がんが見つかったのは、20115月の末。

イタリア旅行🇮🇪のため、珍しくゴールデンウィークに10日間の休みを取った。

仕事に戻っても、すぐには大きな仕事は入ってこない。ルーティンの仕事🖋だけなら少しは早めに帰れる日もできて、平日でもリラックスした時間がとれていたのだろう🍀


5月末のある晩、着替えていた際、ふと右胸が引きつるのを感じたハッ

自分で触ってみると、くるみ大のしこりがある。

「このしこり……もしかして乳がん!?


嫌な予感しょんぼりを払拭したい一方で、ゴロッとしたしこりが、確かに乳頭の横にいる乳がん以外に考えられなかったうずまき

区から乳がん検診の封筒メールがだいぶ前に届いていたはず。その封筒を探して見つけ、開封した📨。

開封さえしてないほど、自分は乳がんには無頓着だったのだ。


見れば、行きつけのクリニックが乳がん検診を行っている。

早速、翌朝電話をしてかけたが電話、最短で610日朝845分の予約になった。


クリニックに行くまでの10日間を、どんな気持ちで過ごしていたのかは覚えてないくるくる


ちょうど親友に会う機会があったので、「自分は乳がんの疑いがある」と伝えると、彼女は「お医者様は、必ずセカンドオピニオンを受けてから決めたほうがいいと思う」と、セカンドオピニオンを強く勧めたグッ


そんな彼女の言葉もあり、乳がんに対して何の知識もなかった自分は、ネットで乳がんについて色々と調べ始めたPC

様々な団体や病院による「乳がん基礎知識」的なものに目を通すと同時に、入院費用札束いくらだとか、どこの病院🏥がいいかなども調べたが、やはり気になったのは、乳がん患者のブログだメモ


検索で出てくるブログは、当時抗がん剤治療の壮絶な辛さを訴えるものが多かった。「なんで自分だけがこんな目に遭わなければならないの」といった、悲痛な叫びがそこにはあった。

胸が無くなった手術後の画像も、痛々しくて見てられない。

暗くて悲しいブログ……


今みたいに、かわいいスタンプで気持ちを表現することも出来なかった頃だ。

今なら嘔吐はゲロー

悲しみはえーん  こんな風に表現できるけど。。。

読んでると、なんだか「負(ふ)の力」に引きずられるように、まだ乳がんと決まってた訳でもないのに怖くなってくる。

3人くらいのブログを読んだが、精神衛生上よくないと思い、そのあと、「ブログはもう見ない!」と心に決めた。


そして610日、かかりつけ医のクリニックへ行き、エコーで診てもらう。

すると、画像には白く大きなしこりが浮かび上がったポーン

深刻な顔で女医さんは、「たぶん

乳がんだわね。大きな病院で診てもらう必要があるわ」と言い、家からそう遠くはない●●病院の紹介状を書いてくれた。


「乳がんなんだ」。ドキドキした。とは言え、まだ現実味がなかった。自分の事ながら、どこか他人の事を心配しているような感覚だった。


そして613日、紹介状を書いてもらった●●病院へと向かった。