50年生きてきて思いますに、

 

個人で生きるなら「言うほどそんなにお金は必要じゃない」っぽいです。

 

案外、どうにかなんとかなるっぽい。

 

 

 

それなりに社会参画ができているなら、

 

そこまで過剰に不安がらなくても良いと思います。

 

(「めっちゃ家族に残したい」とか「絶対に高給老人ホームに入るんだっ!」の人は別だけど)

 

 

 

いろいろあって「いよいよ」のときは、

 

「いま、まったくお金が無い。暮らせない。」

 

をしかるべき場所で、

 

渋られても諦めることなく、

 

相手が分かるように説明ができれば、

 

もし、自分でうまく説明ができないなら、できる人に頼めるなら、

 

公的支援を受けられますのでね。

 

 

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このお方も・・・ねぇ。今はしっかり静養してくださいませ。

 

 

 

個人はそんな感じで大丈夫っぽいのだけど、

 

なにか『志(利他のゴール)』があるのならば、

 

お金はいっぱいあった方が、

 

よりその志を大きくできるっぽい。

 

あと『仲間』が何人かいたほうが良いっぽい。

 

 

 

「類は友を呼ぶ=引き寄せ・波長共鳴の法則」

 

は確かにあるので、

 

良い仲間が欲しかったら、

 

自分も「他者にとっていい仲間」にならないとイケナイ(課題点)

 

 

 

 

ロト6・・・当たんないかなぁ魂が抜ける

 

言ってることがしっちゃかめっちゃか。

 

 

 

 

 

 

本のチョイスもしっちゃかめっちゃか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

算数(数学)が異様にできないワタクシ。

 

それが長年の結構なコンプレックスで。

 

(コンプレックスというよりトラウマみたいな感じなのかも)

 

 

 

先日、

 

「運動音痴だという方のショート動画」

 

を観たときに、

 

「私の算数能力って、この方の運動神経とおんなじじゃんっ!」

 

って気づいたらすごく気がラクになり。

 

 

 

運動音痴だろうが、歌の音痴だろうが、算数なり国語なり体育なりだけが突出してできなかろうが、絵とか字とかが何をどうしても下手だろうが、

 

「それはその人という存在のほんのヒトコマの部分」

 

にすぎず。

 

 

 

そのヒトコマに自分自身が囚われ続けて、

 

「私はダメなヤツだ悲しい」と、

 

強い恥や劣等感を感じ続けているのってバカバカしいなーと。

 

運動音痴だという方のショート動画、

 

とっても動きがコミカルで非常に愛らしかった。

 

 

 

そう「むしろチャームポイントキラキラ」なのですよ。

 

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鼻を大量にかんだら、

 

鼻がヒリヒリ不安になってしまい、

 

『鼻セレブ(超しっとりティッシュ)が欲しい・・・鼻セレブがいい。』

 

(家にあった「カシミア」という銘柄より、「鼻セレブ」の方が個人的に好みな質感でして)

 

と、

 

何も考えず何度もつぶやいていたら、

 

 

 

外出時、

 

玄関のドアに引っかかっていた袋に入っていたのは、

 

『鼻セレブ(引っ越しのご挨拶)』

 

でありました。。。

 

 

 

 

徐々に「引き寄せ」ができるようになってきますと、

 

こういうこと=ユニークなシンクロニシティ

 

がまま起きるのですが、

 

 

 

 

その分っ!

 

ネガティブだったり、

 

邪悪(イジワル・姑息・冷酷・身勝手・・・)だったり、

 

不安、恐怖、過去のヤなことを思い続けたり、

 

言ったりやったりをし続けると、

 

 

 

 

それと同じエネルギーもまたしっかりきっかりさっさと引き寄せてしまう。

 

という副作用がありますよね(自戒)

 

 

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