主体性の有無によって「失敗」という言葉の意味が異なるみたいだね。主体性のある人にとって失敗とは「試行錯誤の一過程」なんだけど、他者依存的な人にとって失敗は「致命傷」の意味になるみたいだ。
ある知り合いが「失敗」という言葉を口にするのをすごく嫌がっていた。
聞けば「この世に失敗なんてない!」からだそうだ。
また、「失敗なんてネガティブな言葉を使うと脳に悪影響がある」とも言っていた。
うん、分かるよ。
本質的にこの世に失敗なんてものはないのは確かだ。
また、失敗という言葉がネガティブかどうかはさて置いて、ネガティブな気分が脳に悪いのは認めるよ。
でも、口にするのもダメなんて言われたら「ちょっと大げさじゃない?」と思ってしまう。
当たり前だけど「失敗」という言葉(記号)自体は何も悪くはない。
歴史上もっとも失敗したであろう、かのエジソンだって普通に使った言葉である。
エジソンの有名なセリフに「失敗ではない。うまくいかない1万通りの方法を発見したのだ」というのがあるよね。
この言葉を「失敗を認めたくないための強がり」とも解釈できるけど、たぶんそうじゃない。
たしかにエジソンは稀代の負けず嫌いで有名だ。
ニコラ・テスラとの電流戦争のさい、交流の危険性を印象付けるため野良犬や野良猫を交流電気で殺処分する実験まで行ったくらいである。
こんな性格なら「失敗ではない」って強がりで言った可能性も否定できない。
でも、冷静に見てどうだろう。
エジソンって人は、何十年も発明人生を送った人だよね。
何千何万と失敗したであろう者が、失敗を認めたくなくて強がるだろうか。
私には、あのセリフ、エジソンは自分の気持ちをそのまま語ったようにしか思えない。
要するに、「失敗なんて試行錯誤の一過程」くらいのつもりで発したのだと思う。
主体性とは、「自分の目的を自分でつくり上げられる精神状態」のことである。
この状態になれば、さきほどのエジソンのように、失敗は「試行錯誤の一過程」みたいなものになる。
たとえば、ホリエモン。
球団やニッポン放送買収の失敗、総選挙の落選、証券取引法違反による逮捕など、常人ばなれした大失敗を何度もしている。
もし、彼が失敗を致命傷のようにとらえていたなら、球団買収失敗の時点で心が折れてしまい、次の新たな目標など持てなかったと思う。
じつは新たな目標を持つためには、その目標が達成可能だと思えるだけの自己効力感が必要なんだよね。
自己効力感ってのは失敗体験や成功体験を重ねることで身につく心理だ。
ホリエモンは、さまざまな成功や失敗を重ねることで、自ら失敗の海に飛び込めるくらいの高い自己効力感を獲得したんじゃないかな。
まあ、ホリエモンはちょっと極端な例かもしれない。
でも、主体的な人って「好んで失敗しようしているんじゃないか」って思えるほど、経験(失敗)を買って出ているよね。
そして、その経験(失敗)から得たことを指針に、つぎの経験を計画し、自らを成長させている。
これが主体的な人の在り方だと思う。
彼にとって失敗なんて「試行錯誤の一過程」でしかない。