20年以上前のサラリーマンって今とはまったく異なる人種だったような気がする。

 

たしかに今も昔も「優秀じゃない人」なら大した違いはない。


でも、「優秀と言われる人たち」は随分違う。


性格や行動は正反対と言っていいくらいだったんじゃないかな。

 

このころの優秀なサラリーマンの特徴は、モーレツ、剛腕、声がでかい、根回し、権力で押さえる・・・。

 

分かりやすく言えば半沢直樹に出てくる伊佐山部長みたいな感じだった。

 

なんでこういう人たちが優秀と言われたのかと言えば、このやり方がもっとも成果に結びついたからである。

 

このころのビジネスって、商品・サービスの質はどこも似たり寄ったりだったから、とにかく量をどれだけ多く動かすかだけが競争だった。

 

だから、頭を使うことよりも、モーレツに動きまくる人が評価されたんだろうね。

 

たしかに私も、その時代、これらモーレツ社員を見て「この人すげえな」って思っていた。


でも今では理解できない。


あれからそんなに経っているわけじゃないのに、人の認識は想像以上に変わるものだ。


昭和の人気番組「水戸黄門」を今の若者が見るとすごく違和感があるらしいけど、このように人の価値観や社会的文脈はひと世代で変わることがあるんだね。

 

そうそう、世代間の認識ギャップと言えば、前々から気になっていたことがある。


テレビドラマ「半沢直樹」って、若者も視ているんだろうか。


というのも、このドラマは、今のビジネス感覚から言ったらすごくズレている感があるからだ。


細かい描写は今風しているけど、「そもそものところ」に違和感がある。

 

「なんで、この人たちこんなに会社のことで熱くなれるんだろう」


「左遷ってそんなにつらいことなの?」


「こんなに優秀なら独立すればいいのに、なんでここまでの仕打ちをされても辞めないの?」

 

そうなんだよね。


この価値観って20世紀、つうか昭和の感覚。


終身雇用を前提にした競争社会のストーリーなんだよね。


これに対して、令和時代の優秀さって、あんな風に競争に勝ち残るじゃなくて、どれだけ価値を生み出すかに変わっていると思う。


昭和の流儀が「寝ない」「靴を履き潰す」「でかい声を出す」「ライバルを追い落とす」なら、令和の流儀は、「対話する」「発想する」「チームで試行錯誤する」だ。


あのころは「ひたすら動きまくっている人」を指して「あの人仕事ができるね」と評価したかもしれないけれど、令和でそれをやると「あの人、何を焦っているの?」って言われかねない。


じゃあ「半沢直樹は令和じゃ通用しないのか!」って言われたら、どうしよう。


まあ、さすがにあそこまで計算し尽くして、徹底的にやられたら、「いつの時代でも通用する人物」としか言えないかな。


また、大和田取締役においても、あのくらい抜け目なければ、今の時代でも出世するかもしれない。


でも、その他の悪役たちは、さすがに厳しいでしょ。


へたしたら入社すらできないんじゃないかな。