同じ映画を観ても人によって感想はまるで違う。
— 中村文昭@たいわや代表 (@jvl1S96EYxZz7R0) November 10, 2020
こちらが「あのシーンが良かったよね」と言っても、「え、そんなシーンあったっけ?」と返されることは珍しくない。
製作者の意図が伝わるように作られた映画でもそんな調子なのだから、世の中の出来事について感じ方が違うのは当たり前の話である。
女房と私は性格がまるで違うのか、同じテレビを見ても感想はまるで異なる。
例えば、女房にとって「鬼滅の刃」は魅力的ではないそうだ。
最初はブームに乗り遅れまいとわざわざ録画して、私にストーリーを教えていたくせに、映画は観たいとは思わないと言う。
理由を聞いたら「登場人物に好きな人がいない」だそうだ。
はて?
そう言えば、朝ドラなんかでも「今回は好きな人がいないから観ない」とか言ったいたのを思い出した。
最初は役者が嫌いなのかなと思ったけど、そうではなくて登場人物だそうだ。
でも、実写ものならともかく、鬼滅の刃で言われてしまうと、ちょっと理解できない。
「これって架空の世界だろ? 好きも嫌いもないじゃん」と思うけど、そうじゃないらしい。
女房の好きなワンピースや夏目友人帳なんかだと、何人か好きな人がいるので観れるのだそうだ。
夏目友人帳ならまだしも、ワンピース???
まあ、いいか。
とにかく、人は同じものを見ても感じ方はまるで異なるものである。
かくゆう私も女房から見たら、えらく不思議な人らしい。
まず、登場人物を覚えようとしない。
もともとちょっと相貌失認の気があるのか、髪形が変わるだけで誰が誰だか分からなくなるので、覚えようとしても覚えられないのである。
時々ドラマを観ながら「この人って誰?」と女房に聞くと、「はあ?主人公でしょ。信じられない。ああ、気の毒」と言われてしまう。
そんな調子だから、ストーリーや描写で楽しむしかない。
それでも十分に堪能できるのである。
こんな二人が一緒に映画でも観たなら、感想はまるで違ってしまう。
私が「あの場面よかったね」と言うと、女房は「そんな場面あったっけ?」。
逆もしかり「あの人があそこ言ったセリフってどういう意味だったの?」と聞かれたも、そもそもその場面自体覚えていない。
傍から見たら、まるで別の映画でも観たような感じになってしまう。
それでも、映画はまだマシな方だ。
映画は、観る人が同じ受け止め方をするように配慮しているけど、リアルの世界にはそんな配慮が無いから、本当にバラバラな受け止め方になってしまう。
例えば、私と女房が実家で親族と話をしたら、その受け止め方が恐ろしいほど違っており愕然とする。
私が記憶している会話の9割方は女房は認識していないし、反対に女房が話していることの9割方は私に記憶にない。
要するに、共有している記憶は1割程度だから、これを話題にすることすらできない。
こんな調子の夫婦関係なんだけど、「これはこれでいいか」と思うこともある。
根本的に認識の異なる人と長い時間一緒にいたお陰で、コミュニケーション力はずいぶん鍛えられた気がする。
そのノウハウ?を示せば以下のとおりだ。
■認識の異なる相手の対話方法
- 相手の世界観を尊重する
- 相手の顔つきや話し方の変化に注意する
- 自分の中に湧いた感情や解釈は眺めるようにして放る
この中で分かりづらいのは1だろうか。
ちなみに世界観とは「世の中に対する見方」のことである。
世界観の現れとして解りやすいのは漫画かな。
例えば、ギャグ漫画と恋愛系少女漫画では登場人物の発想も行動もまるで異なる。
おそらく私と女房では、世界観の離れ具合が、この漫画の例えくらい違うのかもしれない。
だから、へたに分かりあおうとすればするほど、すれ違ってしまう。
哲学的に言えば「他者」を感じてしまう。
でも、これでよいのだと思っている。
人の世界観を理解しようだなんて、それこそ相手をバカにした話だ。
他者という複雑怪奇な存在を前にしてできることは、相手の世界観から繰り出される言葉をしっかり聞くことである。
できるだけ自分の世界観で相手を測らずに、まっさらな感じで話を聴く。
それが相手を尊重することであり、対話の基本だと思っている。