歴史を振り返れば「人に会って話をする」という面倒くさい作業をやってきた人が一廉の人物になっている。

 

坂本龍馬は車も電車も無い時代にわざわざ江戸・薩摩・長洲などへ行ったよね。

 

よくよく考えてもらいたい。

 

今みたいに舗装もしていない道を何十キロ何百キロと歩いて行ったのである。

 

馬や船を使ったとしても、何日も掛かったことには変わりがない。

 

それだけ人に会って話し合うということが大切だった、ということだ。

 

なぜ坂本龍馬は坂本龍馬になれたのか?ここにヒントがありそうだ。

 

考えてみれば、坂本龍馬に限らず、歴史上の人物はみな苦労して人と会い話し合っている。

 

ことわざに「かわいい子には旅をさせよ」ってのがあるけど、これは、「手元に置いて甘やかすのではなく、旅をさせて厳しい経験を積ませるべき」という意味だけじゃなく、「重要人物と会ってお互いの考えをぶつけあわなきゃ成長しない」という意味もあるのかもしれない。

 

でも、この重要さを現代人はすっかり忘れているように思える。

 

いや、全員忘れているとは言わない。

 

今も昔も対話の重要性を分かったいるのはほんの一握りなのかもしれない。

 

でも、今我々は電話もあるし、電車も飛行機もある。

 

zoomなどを使えば、顔を見ながら話し合うこともできる。

 

なのに、なんでこんなに話し合うことをおっくうがるんだろうね。

 

成長機会をみすみす失っているだけにしか思えない。

 

やっぱ、便利さってのは、いいことばかりじゃないってことかな。

 

今の時代、テレビやネットなど、人に会わなくたって、情報を仕入れる手段ならいくらでもある。

 

人と会わなくても情報は得られるから「それでいいじゃん」と思うのは仕方のないことかも。

 

坂本龍馬が聞いたら、「まっこともったいないけんの~」って言われそうだね。(土佐弁のつもり)

 

■誰とどんな話し合いをしたらいいのか?

 

考えてみれば、昔と今じゃ話し合う内容に大きな差があると思う。

 

方言はバラバラだし、語彙の量も少ないから、会話は現代人が考えるより難しかったに違いない。

 

おそらく語ると言うより、分かり合うと言った方が近かった気がする。

 

言葉そのものよりも、表情とか声とか、ノンバーバルな表現で会話をしたんじゃないかな。

 

そういうやり方で命がけの会話をした。

 

逆に言えば、命がけだから、そこまでやったとも言える。

 

現代は、ネットを使えば世界中の誰とでも会話できる環境にある。

 

直接会話はできなくても、SNSでつながることはできる。

 

そして翻訳ソフトを使えば、疑似的に会話も可能だ。

 

やろうと思えば一国のトップやノーベル賞受賞者とだって話し合える可能性がある、ってことだ。

 

「そりゃ無理だ」「俺なんかがやったって…」なんて言わないでもらいたい。

 

たぶん坂本龍馬なら、例え未熟な会話しかできなくてもやったと思う。

 

う〜ん、自分でもできないことを偉そうに書いてしまったかな。

 

でも、「人と会って話し合う」は、今も昔も大事なことであるのは変わらない。

 

なぜ大事かと言えば、「自分自身の成長」につながるからである。