対話は「論点を深堀すること」。
なんて言うとすごく難しそうに聞こえるけど、そうでもない。
普通の会話が、1回か2回の応答で終わるところを、何度も応答すれば対話になる。
まずはありがちな会話から。
A いい天気ですね
B そうですね
A ところで、例のけんってどうなったの?
B ああ、あれなら無事終わったわ
A そうですか、よかったね
B ありがとう
A じゃあまた!
(終わり)
分かるかな?
さいしょは「天気の話」で、すぐに「例のけん」に話題が変わっている。
このとおり話題が簡単に変わるのが会話の特徴だ。
対話慣れしていない人って、話を深堀するのは失礼なことだと思い込んでいるのか、核心にせまる前に話題を変えるところがあるよね。
とうぜん、浅い話で終わってしまう。
じゃあ対話はどういう風にやるのか。
つぎのような感じだ。
A いい天気ですね
B いやあ、本当にいい天気ですね
A これぞ日本晴れですね
B 本当ですねえ、まさに日本晴れですねえ
A こんな天気、いつ以来かなあ
B ああ、たしかにねえ、いつ以来ですかねえ
A 考えてみれば、子どものとき以来かなあ
B ほう、子どものとき以来ですか
(続く)
すごく適当な例えを書いてしまった気もするけど、まあ、対話ってのはこんなものである。
まるで漫才みたいって言われそうだけど、まさに対話は掛け合いだ。
もしくは「言語ゲーム」だ。
ヴィトゲンシュタインは、言語になんで意味が付いているかの理由を「人々がそれぞれのふるまいの一致から意味を推測しているから」としたけど、言葉の本質って、まさに「言語ゲーム」なんだよね。
そのことがよく分かるのは、ロールプレイング(ロープレ)である。
ロープレをやったことある人なら分かると思うけど、さっきみたいな「言語ゲーム」でも本心は現れる。
あきらかに演技なのに、いつの間にかその役の中に入りこんでしまい、その人そのものになっている。
いや、知らず知らずにのうちに自分そのもの、もしくは第2の自分になっている。
ロープレあなどるなかれだ。
われわれは、言語に先立って意味が存在しており、言語はそれを表現する道具だと思いこんでいるけど、じっさいはそうじゃないんだよね。
しゃべりながら意味をこしらえている。
もっと大げさに言えば、しゃべりながらアイデンティティを構築している。
ロープレは,まさにその原理を体験できるのである。
ロープレの効能は、心理の解読性向上と言われている。
最初のうちは、相手を解読できないため、対話はストレスになるけれど、慣れれば心理的にボジティブになるとも言う。
どんなにくだらないネタからでも深堀りすれば、何かが起こる。
ロープレはそのことを気づかせてくれる。