ストレッチな目標(ビジョン)を設定するとき、つぎの3つが条件になると思う。

①「興味」「能力」「価値観」をふまえること
②映像として描けること
③自己効力感をふまえること

 

目標設定は「興味」「能力」「価値観」をふまえること

 

ノルマを課すって文化がまだ残っているよね。

 

最近だとカッコよくKPIとか言ったりするけど、言葉を変えたところでノルマはノルマだよね。

 

そのさい、どの程度のノルマを課すかによって、結果が想像できてしまうんだけど、どうだろう。

 

たとえば、100の実力の持ち主が50しか実力を出していない場合、「100やれ!」って命令すればどうなるか。

 

「やれやれ、仕方ないなあ」と言って100の仕事をするかもしれない。

 

まあ、100は無理かもしれないけど、70とか80の結果は出すかな。

 

しかし、もともと50の実力しか無い者に同じ命令をしたらどうなるか。

 

当たり前だけど達成できない。

 

もちろん、50の実力だと思ったら、じつは能力が100あって、その眠れる力を開花させて達成することもあるだろう。

 

でも、ここではメンタルの話はとりあえず置いておく。

 

英語のしゃべれない人に英語でしゃべれと言っても無理なように、メンタル以前に、能力的にできないことはいくら命令したってできない。

 

それでも無理やりやらせようとしたらどうなるか。

 

おそらく、その場しのぎの返事でごまかすか、インチキするか、こりゃあヤバいと逃げだすか、そんなところだろう。

 

けれども、こういう命令を平気でする会社のばあい、上司はしれっと次のような屁理屈を言うのではないか。

 

「目標ってのは、背伸びするくらいがちょうどいい!」

 

たしかに目標設定理論では、目標は困難かつ明確がよい、とされている。(ロックの理論)

 

また、かつて経営の神様と言われたGEのジャック・ウェルチも「ストレッチ」という言葉で、高めの目標設定を推奨した。

 

自分自身を振り返っても、目標をちょっと高めに設定したお蔭で予想以上にうまくいった経験はある。

 

だから、ストレッチな目標の良さは分かるけど、目標を押し付ける会社のやり方ってそれとはちょっと違うんだよね。

 

人を見ずに数字だけ押し付けている感じがする。

 

たとえば、「1年以内に100m走で10秒台を出せ」と言われたって、私には絶対にムリである。

 

「じゃあ、11秒台ならどうだ」と言われたとしても、「できません」としか言えない。

 

能力的に無理なだけでなく、そもそも早く走ることに興味がないし、そこに価値観(意義)も持ち合わせていない。

 

私にとって、100m走は興味的にも、能力的も、価値観的にも目標にはなり得ないのである。

 

なのに、それでも「やってもいないうちからグダグダ言うな」なんて言われたら、「さよなら~」って逃げ出すかな。

 

このように、人の興味・能力・価値観をふまえずに、数字を押し付けるように目標設定するのは、けっしてストレッチな目標とは言えない。

 

 

映像が描けているか?

 

ピーターセンゲは、目標設定について輪ゴムを使った説明をしている。

 

 

輪ゴムがだらけた状態を「コンフォードゾーン」、引っ張り過ぎると「パニックゾーン」、そしてほどよいところを「クリエイティブテンション」と言っている。

 

ピーターセンゲは次のように書いている。(学習する組織:やや簡略化)

 

ビジョンと現実を対置させたときにクリエイティブ・テンションが生まれる。

 

これはビジョンと現実を結びつける力であり、解決を求めて自然に引っ張り合う力である。

 

自己マスタリーの本質は、自分の人生においてこれをどう生み出し、どう維持するかを学習することだ。

 

なるほど、目標とは自己マスタリー(≒自己実現)のためのビジョンのことなんだな。

 

先ほどの100m走のたとえのばあい、私ではまったくビジョンを描けなかったけど、桐生祥秀ならどうか。

 

「9秒9台前半を出してオリンピックの決勝で走る」くらいのビジョンを思い描いていてもおかしくない。

 

私にとっては荒唐無稽(パニックゾーン以上?)でも、彼にとっては当たり前の目標(クリエイティブテンション)なのである。

 

どうやら大切なことは「映像が描けているか?」のようだ。

 

ビジョンとは「興味」「能力」「価値観」の合致した映像である。

 

桐生祥秀だったら「走りに関する興味」「実際に早く走れる能力」「オリンピックで走りを成し遂げることの意義(価値観)」の3つが合致するひとつの絵が描かれているにちがいない。

 

今は合致していなくても「かならず近いうちに合致する」ことを信じ、そのときの場面をありありと描くことができたら、それがビジョンである。

 

 

 

目標設定は自己効力感をふまえること

 

さて、ストレッチな目標がビジョンのことだとして、なぜ多くの人はこれを持つことができないのだろう。

 

じつはビジョンは、ある程度、自己効力感(自信)が高くないと描けない。

 

自己効力感とは、達成体験やさまざまな学習を積むことによって高まる心理状態である。

 

したがって自己効力感は、経験を重ねながらじょじょに高めるしかない。

 

いくらストレッチな目標を持った方がよいと言っても、自己効力感が育っていないと、高い目標(ビジョン)を持つことができないのである。

 

無理して高い目標を設定すると、次第に自信を失い、自分が嫌いになるとか、つらくなったりなったりする。

 

ワシントン大学の心理学研究によると、実験の参加者に難しい課題と簡単な課題をやらせてみたところ、簡単な作業をした参加者は自己評価が高くなったのに対し、難しい作業を行った参加者の方は自己評価が低くなり自分のことも嫌いになってしまったという。

 

また、アメリカの学者ウイリアム・パヴォットによる実験では、「理想の自分」と「現実の自分」のイメージが離れている人ほど幸福度が低かったのだそうだ。

 

身も蓋もない言い方だけど、目標は分相応がよい、ということである。

 

仕事のできる人には高い目標。

 

そうでない人には、それなりの目標。


元に戻るけど、目標は、「興味」「能力」「価値観」をふまえなきゃならないってことだ。