人はなんで自分とちがう人を見つけると、敵認定して、布教活動してまで「自分たち」と「自分たち以外」に分けたがるのだろう。
人って、ときとばあいに応じて「自分たち」と「自分たち以外」を使い分けているよね。
たとえばトランプ大統領なんかは解りやすい。
彼はしょっちゅう特定の国や国際機関とケンカしているけど、そのときの彼の「自分たち」はアメリカ合衆国である。
けっして人類全体を「自分たち」とは考えていない。
まあ、当たり前って言えば当たり前かな。
ほとんどの人は自分の国までしか「自分たち」にはならないよね。
たとえば、よその国でどんなに非人道的なことが行われていたって、そういうことに危機感を感じる人はあまりいない。
それよりも自分の国の政争や理不尽な出来事の方がずっと関心ごとになってしまう。
このとおり他国を批判しているときのトランプ大統領はアメリカ合衆国を代表しているけれど、選挙が近づくとちがう枠組みが現れる。
共和党vs民主党にコロッと変わる。
まあ、当たり前か。
どこの国のトップも国内では、与党が「自分たち」で、野党は「自分たち以外」になる。
じゃあ共和党のことをいつでも「自分たち」と思っているかと言ったらそんなことはない。
けっこう内紛を起こして更迭とかやっている。
まあ、そういうものだ。
「自分たち」の範囲なんて自分の都合でコロコロ変わるものである。
それとともに「敵」も変わる。
こじれた争いなら「自分」vs「自分以外」に行き着くまで続くものだ。
この構図は宗教にこそ典型を感じる。
たとえばキリスト教vs異教徒である。
今は違うけど、何世紀か前まで敵対的な異教徒は攻撃し、そうでない異教徒は改宗させようと布教活動していた。
かと言ってトランプ同様キリスト教も一枚岩というわけじゃなく、やっぱり内紛ばかりしていた。
「自分たち」の範囲が、つど変わったということだ。
これってキリスト教にかぎらない。
どの宗教も時代とともに宗派が分裂し、さらにその宗派内でも争いがあった。
その争いに発端には、自分の考えにこだわり、「自分」vs「自分以外」におちいった者がいたと思う。
そしてその者は、この一人ぼっちの状況をなんとかしたくて敵認定や布教活動にいそしんだのだろう。
そんなこんなを振り返ると、人はなぜ「自分たち」を作るのか?という疑問の答えが見えてくる。
たぶん孤独を恐れているんだろうね。
自覚することはめったにないけれど、人にとって孤独ほど恐ろしいものはない。
仲間はずれとか無視が、どうしてこんなに精神的にきついのかと言ったら、「人間にとっての根源的な不安(実存的不安)」に触れるからだ。
この不安を紛らわす一番てっとりばやい方法は、敵を見つけて「自分たち」をつくりあげることなのだろう。
だから好んで敵を見つけようとするし、見つけたら攻撃をしかけるし、それを正当化しようと布教活動もするし、最後は魔女狩りみたいなことまではじめてしまう。
それがエクスタシーでもある。
今世間では「誹謗中傷」とか「自粛警察」が問題になっている。
まあ、たぶんこれらも上に書いたことと同じ構造だと思う。
根底にあるものは、やっぱり「自分」vs「自分以外」の不安じゃないかな。
そこから脱するために「もっともらしい理屈」と「さも正当性があるような立ち位置」を見つけて「自分たち化」を図る。
そうそう、彼らを批判する側も同じ構造だってことは忘れてはいけない。
どちらも「もっともらしい理屈」と「正当性があるような立ち位置」の争奪戦をしているに過ぎない。
そうやって争いは活発化する。