あなたは今車を運転しているとする。

 

右側を見ると、赤い車がなぜかこちらより前に出ようと頑張っているように見える。

 

バックミラーで後ろを見ると、青い車があおるような感じで追い抜く機会を探しているようだ。

 

前を見れば、何台かの車も、し烈に競い合っている。

 

どうやら我々はレースをしているようだ。

 

思い切りアクセルを踏み込みたいところだけど、燃料計を見るとガソリンはそんなに残っていない。

 

どこにガソリンスタンドがあるか分からないので、アクセルはやや抑えながらも、負けない運転に徹するしかない。

 

まず、後ろの青い車には抜かれたくない。

 

できれば、隣の赤い車には競り勝ちたい。

 

コーナーでは必ずインを取ろう。

 

そしてスピードを落とさずコーナーリングしよう。

 

テクニックで勝つしかない。

 

あとは精神力だ。

 

ずっと、そんなことを考えている気がする。

 

思い起こせば、後ろの青い車は、このテクニックと精神力で、先ほど競り勝っている。

 

その時は爽快だった。

 

次は隣の赤い車だ。

 

・・・

 

しばらく競い合いが続いていたけど、ふとある疑問がわいた。


ところで、なぜ競い合っているのだろう。

 

そもそも私はどこに向かっているのか?

 

そう言えば、目的地なんて考えたこともなかった。

 

いつからこういう状態だったのか、気づいた時にはすでにこういう状態になっていたと思う。

 

ところでライバルたちには目的地が見えているのか?

 

もしかしたら、ライバルの運転手たちも、私と同じかもしれない。

 

いやいや、ライバルがどうかなんて関係ない。

 

私に目的がないことだけは明らかだ。

 

問題は、ライバル云々ではなく、このまま走り続けるべきか、それともいったん止まって目的地を確認すべきかだ。

 

そんな自問自答した末に、思い切ってブレーキを踏んで車を止め、地図を見ることにした。

 

そして地図を見て驚いた。

 

今走っている道は、やがて1車線になり、未舗装になり、そして行き止まりになる道だった。

 

なぜビジョンが必要なのか

 

ちょっと皮肉っぽい寓話みたいになってしまったけど、こういう感じの経営者ってけっこういると思う。

 

要するにビジョン(目的地)の無い会社である。

 

これから本格化する第4次産業革命では、だんだん市場が小さくなり、最終的にはなくなってしまう業種もあるだろうけど、普段、そういうことをあまり考えずに、目先のことで一喜一憂している。

 

先ほどの話で言えば、道がなくなるかもしれないのに、一生懸命、隣の車と競い合うようなものだ。

 

どうして、こういう風になっちゃうんだろうね。

 

昭和のころって、「これをやれば儲かるぞ」と言われている商売に参入して、あとはライバルに勝ちつづければ、会社はどんどん成長できた。

 

「近代化」という国家単位の目標があったから、そこで勝ち上がることが大切であり、個別の目的を持つなんて、特殊な場合以外、必要なかったのである。

 

それはビジネスに限らず、人生においてもそうだった。

 

受験戦争、大会社志向、出世競争なども同じ発想だったと思う。

 

もちろん、それはそれで大変だし、簡単じゃなかった。

 

でも、進むべき方向性は明確だったから、後はどれだけ努力するか、そして勝ち進むかだけに専念すればよかった。

 

そういう意味において、今より、ストレスの少ない時代だったと思う。

 

でも、その後、進むべき方向性はどんどん崩れ、今は暗中模索の時代である。

 

会社も、個人も、目的(ビジョン)を持たなければ、どっちに進んでいいのかも定まらない時代になった。

 

令和はそういう時代である。