当たり前だけどどんな人も最初は何もできない。立って歩くことも、言葉もしゃべることもできない。そこから真似をして、自分なりのやり方を見つけ、いずれ独り立ちする。
成人発達理論のカート・フィッシャーは、大人の発達を点・線・面・立体の比喩を用いた説明をした。
そのイメージは次のような感じかな。
上の図をちょっとだけ説明する。
まず、「点から線まで」についてだけど、これは単純作業を繰り返し繰り返し行っているイメージをしてもらいたい。
言わば、守破離の守である。
この繰り返し作業をやっているうちに、無自覚だけど潜在的な応用能力は蓄積されていく。
そして、これまで見えてなかった問題に、だんだん気づくようになる。
その問題意識が、ある閾値(境目となる値)を越えた時、「転機」は訪れる。
傍からは、何か大きな出来事が「転機」になったように見えるだろうけど、出来事はきっかけに過ぎない。
「転機」とは、本質的に内面の転換なのである。
そして無自覚のうちに「才能×没頭×個性」の方向に進む。
守破離で言うなら、「破」は「才能」と「個性」の現れであり、「離」は「没頭」への突入である。
ところで「転機」が訪れた時って、みなさんはどう対処した?
もちろん状況の大きさで異なったと思う。
単に教わったことを繰り返すだけの状態から、自分で考えて行動する程度の「転機」は、なんてことない。
でも、その経験の上で「これが私のやり方だ!」と自信を持っていたことが、それは幻にすぎなかったと気付くような「転機」になると、けっこうしんどい。
アイデンティティが揺らぐほどの衝撃だったら、今後どの方向に進むべきか、そのために何をするべきか、といった指針が失われてしまう。
でも、そんな時、あまりジタバタしない方が良い。
『トランジション』の著者ブリッジズいわく、「転機」の時はむしろ何をしないで、孤独の中で自分のうちなる声を聞くくらいの方が、より良い変化が生まれるそうだ。
無自覚のうちに「才能×没頭×個性」が正しい判断をしてくれる。
棋士の羽生善治は、先人のやり方を徹底的に真似すれば、先人が一生かかって到達した境地にも若いうちに到達できる、みたいなことを言っている。(学習の高速道路論)
これだけだと「我流はダメ、守破離の守をしっかりやろう」って聞こえる。
でも、羽生は続けて、学習の高速道路効果のせいで、高速道路を降りた辺りは大渋滞になっているという言い方で、将棋界は、高度でかつ似たようなレベルの者たちが団子になっている、みたいなことも言っている。
これについて、どう解釈すべきか。
羽生と対談した梅田望夫は、知の高速道路により癖のない均質な強さは昔に比べて身につけやすくなったけど、それだけじゃダメで、最終的には「際立った個性」の強さが紙一重の差を作り出す、としたうえで次の公式を示した。
超一流 = 才能 × 対象への深い愛情ゆえの没頭 × 際立った個性(『「シリコンバレーから将棋を観る』2009)
つまり、ブレイクスルーには「才能×没頭×個性」が必要ってことである。
守破離って、「守」さえやっていれば自然と「破」が来て「離」に思い込みがちだけど、人の発達は、そう単純じゃない。
